「江夏の21球」を観て

かなり久しぶりにNHKの「江夏の21球」を視聴した。41年前の録画映像なのに、また、結果を知った上で観ているのに、緊迫感がひしひしと伝わってくる。
ノーアウト満塁からの佐々木選手に対する、押出しを恐れないかのような際どいコースを突いた投球は圧巻だ。見逃してもストライクだと言えるのは2・3球目(9回裏の13・14球目)だけで、3球目も内角ギリギリである。そしてスリーボールになってからの勝負球(9回裏の「17球目」)は見逃せば恐らくボールだったろうが、直前の直球と同じ軌道からのカーブであり、あれはどうしてもバットが出てしまう。最も痺れるシーンはここだったと思う。
そして、石渡選手に対する2球目(9回裏の「19球目」)である。あれが江夏投手の咄嗟のウェストだったのか、あるいは意図しないすっぽ抜けだったのかは分からない。ただ、少なくとも捕手の水沼選手は投球動作とほぼ同時に立ち上がったので、その瞬間までにスクイズを察知したことは間違いない。そして、綺麗にスクイズを外し、白球がすっぽりと水沼選手のミットに収まるのをみて、思わずテレビの前で唸ってしまった。

何故スクイズ

ただ、やはり疑問に思えてしまうのは、名将・西本監督が何故スクイズの作戦を立てたのか、という点である。
まず基本的な認識として、スクイズはかなり投機的な作戦である(近年のセイバーメトリクスでは、スクイズを試行して三塁ランナーが生還する確率は48%との分析があるようだ)。作戦に失敗した場合には、バッターアウトだけでは済まず、三塁ランナーを失うなどチャンスの芽を摘んでしまうリスクを孕んでいる
特に満塁である。塁を埋めるランナーがいずれも走力の高い選手とはいえ、ランナーの足より早く本塁に送球されれば、タッチを要することなくアウトになる。そのため、ランナーは早めにスタートを切る必要があり、どうしてもスクイズを見破られやすくなる。
そして、カープの内野陣はバックホーム態勢であり、決してスクイズに無警戒だったわけではない。
一方、満塁のシーンでの得点確率はノーアウトからであれば8割、ワンアウトからでも6割を超えており、要するにスクイズよりもヒッティングで挑んだ方が高い生還率を期待できるわけだ。また、ワンアウト満塁からの期待得点は約1.4といわれており、このシーンだと同点はおろか、あわよくば一気に逆転サヨナラを狙える可能性も十分にある。
このように考えていくと、今となっては結果を知っているので結果論になってしまうが、やはりこの場面でのスクイズ敢行は奇策だったと言わざるを得ないのではなかろうか。

有利な状況下での奇策といえば・・

全く異質なものへの喩えになるが、自分の中では、この「奇策」への疑問は、川中島の戦いでの武田信玄の「啄木鳥戦法」に対するそれと似ている。
甲陽軍鑑」によると、武田信玄は兵を二手に分け、別動隊に妻女山に立て籠もる上杉謙信を攻撃させ、上杉軍を八幡原に追いやった上で、本隊・別動隊で挟撃するという「啄木鳥戦法」を立案する。しかるに上杉謙信は作戦を見破り、別動隊の到来より前に妻女山下り、翌朝、その全軍をもって武田本隊と衝突し、武田本隊は一時あわや壊滅かという状態にまで追い込まれる。
この作戦は、せっかく優位にある兵力数を分散化させるという点で、どうしても投機的な作戦に思えてしまう。まずもって妻女山に攻めあがったところで、上杉軍が注文どおり八幡原に逃げてくれるかどうか定かでない。寄せ手を追い払った上でなお妻女山に居座られる可能性や、八幡原方向ではなく、手薄になっているはずの海津城を奪いにこられる可能性だって否定しきれない。それに、戯曲では上杉謙信海津城の煮炊きの煙の量という微かな情報から武田軍の動意に勘付いたとされるが、夜間の登山行軍となると大量の松明を灯すはずであり、見晴らしのよい山頂に陣取っていた上杉軍がそれを見破るのは難しくなかっただろう。このようにきれいに「裏をかく」ことができない可能性や、裏をかこうとする動意が見破られ「裏の裏をかかれる」可能性が少なからずあり、その場合に被る打撃は甚大である。
そもそも、海津城に立て籠もる武田軍と妻女山で野営する上杉軍の膠着状態が続くことによって困るのは、遠征軍である上杉方なのであって、武田方から仕掛ける必要はあったのか。
昭和16年連合艦隊司令長官だった山本五十六が日米開戦に際して「桶狭間鵯越川中島をあわせ行う」ようなものと評しているが、桶狭間鵯越真珠湾攻撃作戦と、川中島武田信玄とでは、状況が大きく異なる。前者については戦力状況の不利な側が、劣位を挽回するために奇抜な作戦をとった(と伝承されている)のに対し、後者については、上述のとおり有利な状況から戦に臨んでいる。このように優位な状況を作り出せている側が、何故、投機的な作戦に挑んだのだろうか。
この点、小説や映画などで強調されるのは上杉謙信の異様なまでの戦上手さであり、客観的には優位にあったはずの武田信玄が「普通に戦ったのでは敵を倒せない」と(ある意味、合理的に)考えたのではないか、という描写である。

最大のポイントは17球目・佐々木選手からの奪三振だったのではないか

挿話が長くなったが、「江夏の21球」に話を戻そう。近鉄ベンチは正攻法で臨めばかなりの確率で得点を望める有利な状況下、何故「裏をかく」べく投機的な作戦を選択したのだろうか。
江夏投手の異様なまでの投球術の巧みさに対し、客観的な得点確率はともかく、西本監督として「普通に戦ったのでは江夏投手を打ち崩せない」と考えたからではなかろうか。ノーアウト満塁から前年の首位打者(79年も3割以上の打率をマーク)だった佐々木選手から奪った三振をみていると、ひときわそういう思いが強まったのではないか。
そのように考えていくと、江夏の21球」の核心は、19球目でスクイズを外したことよりもむしろ、佐々木選手から見事な三振をとったことにあり、本当は有利な状況を作っていたはずの近鉄ベンチに「普通に戦ったのでは勝てない」と思わせた瞬間から、有利・不利が近鉄から江夏投手に入れ替わったように思えてならない。

追伸その1:川中島の戦いにおける「啄木鳥戦法」については、合戦経過を描いた史料が少ない中、後世の創作・脚色を疑う説もあるようだ。例えば、濃霧の中で意図しない会戦となったのではないか、とか、妻女山を囲まれた上杉軍が兵糧攻めを恐れて一気に下山して総攻撃に出たのではないか、といった可能性が指摘されているとのこと。

追伸その2:因みに「江夏の21球」というのは9回裏の投球数をいっているのであり、当日、江夏投手は7回途中からマウンドに上がっており、その試合中の投球数は41球である。