「4割打者」絶滅とコロナ禍の特殊なシーズン①

生物学者であったスティーブン・グールド氏については、以前の記事で触れたとおりであるが、2003年に「4割打者の絶滅と進化の逆説」を副題とする書籍を刊行し、その中で1941年のテッド・ウィリアムズ以降、4割打者が出現しなくなった理由について説を展開している。曰く、1930年代以降、MLBにおける投打のバランスは全体として均衡(平均打率2割6分程度で安定的に推移)しているが、投打の戦力層が厚くなり、かつレベルアップした結果、選手ごとの打率分布の分散が小さくなった(右裾が小さくなった)結果として、4割打者が出現しにくくなったとしている。

こうした見方は、野球に限らず、スポーツ全般や世間の摂理として素朴な実感に沿っているように思える。ただ、グールド氏の時代はまだセイバーメトリクスの理論研究が未発達であったため、現代的な視点からみると、もう少し説明を足す余地があるのではないか。

そして、今シーズンのMLBはコロナ禍のせいでレギュラーシーズンが60試合という異例の事態となった中、巷間「4割打者が現れるチャンス」との見方もあった。グールド氏が「絶滅」したと称した4割打者が出現するチャンスが思わぬ恰好で高まったということだろうか。

今回から、グールド氏への敬意も込めて、主に野手の打撃成績分布の「分散」に着目して、現代的な視点から「4割打者は本当に絶滅したのか」について考えてみたい。

グールド氏のご指摘どおり、MLBの打率分布の分散は縮小傾向なのだが・・・

まず、グールド氏の指摘された、MLBにおける打率分布の分散の推移について、改めてみてみよう。著書中のグラフをみる限り、グールド氏の分析対象は規定打席(=試合数×3.1以上)達成者だとみられるが、ここではもう少し拡げ、打席数が試合数以上の打者を分析対象としてみた。

これをみると、対象打者の打率の平均値は、ライヴ・ボール時代といわれた1930年代がピークで、その後は確かに2割6分程度で安定的に推移している。また、打率の分散は趨勢としてみると、徐々に縮小しているように見受けられる。この辺は氏のご指摘のとおりである。ただ、コロナ禍に見舞われた2020年シーズンについては次回で述べるとおり、対象打者の打率の平均値が低下するとともに、分散が球史にない程度にまで急拡大している。

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MLBにおける打率(打席数が試合数以上の打者)の分散の推移

目を転じてNPBについてみると、1950~60年代にかけて投手優位の時代が続いた後、70年代後半以降、対象打者の打率の平均値がやはり2割6分程度で安定的に推移していることは以前の記事で触れたとおりである。分散については、MLB対比でチーム数・シーズン試合数が少ないこともあってか、全般に振れ幅が大きいが、長い時系列としてみると、振れ幅の拡大を伴いながら、やや縮小傾向にあるとみることができるのではないか。2020年シーズンのコロナ禍による影響については、これまで(10月10日現在)のところ、確かに前年比で分散が拡大しているが、MLBほど顕著な変化が生じているとは言えまい

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NPBにおける打率(打席数が試合数以上の打者)の分散の推移

(注)NPBの2020年のデータについては、10月10日まで(以下本シリーズの記事を通じて同じ)。

「4割打者消滅」はBABIPと三振率の壁のせい

このグールド氏の説に対し、現代野球理論に即して敷衍するならば、「4割打者消滅」は、打者のレベルアップに対抗すべく、投手が奪三振力を高めた結果として阻止されているのではないかと考えられる。

ここで、セイバーメトリクスの指標であるBABIPについてみてみよう。MLBにおける打者(対象打者の範囲は上記と同じ)のBABIPの平均値と分散の推移を整理したのが次図である。これをみると、BABIPの平均値の水準は1930年代のライヴ・ボール時代に3割をやや超える水準にまで高まり、その後いったん2割8分台まで低下したものの、1990年代以降再び上昇に転じ、足許は3割程度となっている。

このように、BABIPの平均値の水準が増減する一方、実に興味深いことに分散はかなり安定的に推移している。つまり、インプレーの打球が安打になるか凡打に終わるか、という水準自体は、時代により切り上がったり下がったりするものの、バラツキ度合いはほぼ不変ということだ。

ただ、2020年シーズンだけは、このトレンドどおりでなかった。2020年は、BABIPの平均値の水準が低下したうえ、分散が球史にみない程度で急拡大している。この図表だけでも、コロナ禍のもとでのシーズンの異例さが際立ってみえる。

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MLBにおける打者のBABIP分布の推移

2020年シーズンについては後から触れるとして、これまでの話を総合する限り、4割打者の出現した1930年代と2010年代とでは、BABIPの水準は概ね同程度であり、分散は歴史的に安定的に推移している。それでは、1930年代・2010年代における4割打者の出現の確率を異ならせているものは何なのだろうか。

その答えが三振率である。NPBについては以前の記事で述べたとおりだが、三振率はMLBにおいても上昇傾向が続いている。そして、打者の三振率平均値の水準が上昇するにつれ、分散についても拡大傾向が続いている。 

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MLBにおける打者の三振率分布の推移

また、BABIPが対象とする「インプレー」打球に含まれないものとして、三振の他に本塁打もある。こちらの本塁打率についても上昇傾向が続いている。

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MLBにおける本塁打率分布の推移

要するに、①BABIPは水準が切り上がったり下がったりすることはあるが、その時代ごとのレンジを超えて高水準のBABIP記録を残すことは難しい、そして、②BABIPの外側にある三振率および本塁打率――特に絶対数の多いのが三振数が歴史的に増加していることが、4割打者の出現を難しくしているということだ。打率についていえば、人間の肉体的限界もさることながら、インプレー打球が安打になるか凡打に終わるかという運が天井となっている。そして、野球の進化の歴史は、単純に選手層の充実化・レベルアップに伴い指標の分散が縮小というより、本塁打などの長打力の向上と、投手の奪三振力の向上という、「運」という天井のあまりない領域に糸口をみつけた進化・発達というべきなのではないだろうか。

それでは、現代野球において4割打者出現の可能性はどの程度低いと考えるべきなのか、2020年シーズンは4割打者出現の好機だったのか、はたまた野球の究極の進化形が「三振か本塁打か」というプレースタイルになってしまうのか、次回の記事以降で考察を続けてみたい。

(追伸)BABIPについてNPBではややMLBと異なる傾向

なお、BABIPについては、ややMLBNPBの歴史的傾向が異なる。NPBでは、2リーグ制導入(1950年)以降、1990年代にかけてBABIPの水準が徐々に上昇する中、分散についても振れ幅を伴いながらやや拡大しているように見受けられる。2020年シーズンは、やはりBABIPの分散が拡大しているが、これまでのところ、MLBでみられるほどトレンド破りな動きがみられたわけではない。

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NPBにおける打者のBABIP分布の推移

因みに、本塁打率についても、NPBではMLBのように趨勢的に増加が続いているとまでは言えず、70年代末頃まで増加傾向が続いた後は比較的安定的に推移している。ただ、平均値の水準と分散の水準が概ね連動して増減している点は、MLBと似ている。

三振率については、NPBにおいてもMLBと同様、歴史的に平均値の上昇トレンドが続くもと、それに連れて分散も拡大傾向にある。

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NPBにおける打者の三振率分布の推移

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NPBにおける本塁打率分布の推移