「一握の砂」に想う、南の夜空に赤く輝くいちばん星

「一握の砂」

本日は、故あって野球とは無縁の話題から入る。

石川啄木の「一握の砂」は故郷愛と悲哀に満ちている。

目の前の菓子皿などを
かりかりと噛みてみたくなりぬ
もどかしきかな

石川啄木は借金癖があったといわれるが、カープも「借金」が続くともどかしい気持ちになってしまう。

はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る

代表句であるが、これも暗黒時代を思い出させてしまう。ただ、こういう句もある。

ふるさとの
山に向ひて言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな

カープが地元密着型のチームであるのと同様、石川啄木も強い故郷愛を抱いていたようだ。

そういう苦境の時代にカープのレギュラーになり、ただ、苦境の悲しさから脱却すべく若手投手をリードし、そして2016年の25年振りの優勝の原動力となった捕手がいる。今年、引退を表明した石原選手である。

なぜ「一握の砂」かというと、文学的な理由は全くなく、こちらの動画でもご覧頂きたい。

球団史に残る出場試合数

カープの歴史に残る捕手はと尋ねると、「達川選手」「水沼選手」という回答が多いかもしれないが、それは彼らが70~80年代の初優勝から黄金時代を支える選手だったからという面もあるかもしれない。出場試合数、安打数ともに、球団史上最高の成績を残したのは他でもない石原選手である。

球団史において、捕手として先発出場した試合数の推移をみてみよう。

石原選手は、キャリアの前半は主に倉選手と、後半は會澤選手とレギュラーを争い、一定割合の試合で先発マスクを譲りつつも、10年以上の長きにわたり正捕手の座を維持してきた。因みに、球団史における、先発でマスクを被った試合数ランキングをとると、石原選手が1,357試合の歴代1位、達川選手が1,184試合で2位、草創期を支えた田中選手が1,071試合、水沼選手が956試合、西山選手が887試合、という順になる。

また、次図には、カープの勝率の推移のグラフ(黒色の折れ線グラフ)を重ねてみた。改めてキャリア前半が底なしの暗黒時代だったことが思い出される。にもかかわらず、FA権を行使せずカープに残留してくれたことは、どんな記録・成績より嬉しいことであり、そして最後はカープの3連覇の原動力となってくれた。2016年はベストナインゴールデングラブを受賞。

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カープの歴代捕手の先発出場試合数推移

石原選手の応援歌は、

南の夜空に赤く輝くいちばん星
広島に優勝(夢)を運ぶ石原慶幸

というものであったが、本当に広島に優勝という夢を運んでくれたのである。

組んできた先発投手の内訳をみると、前田健太投手が最も多く、K.ジョンソン投手の118登板のうち実に116登板が石原選手と組んでいるというのは、信頼度の高さの表れだろう。カープは先発投手の一角を外国人に頼っていた時期が長く、K.ジョンソン投手以外にも、バリントン投手、ルイス投手などとバッテリーを組んだ試合数も多い。

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石原選手が先発出場した試合でバッテリーを組んだ先発投手

また、特に最近は「打てる捕手は會澤選手で、打力はともかくインサイドワークや捕球力は石原選手」という印象を持っている人も多かろうが、元々、石原選手は打てる捕手であり、通算打撃成績は球団史に輝くものばかりである。

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カープの主な歴代捕手の打撃成績

長年の活躍にお疲れ様でした、と申し上げたい。現役時代から若手選手と気さくに対話し、ベテラン選手や首脳陣とのよい懸け橋になっていたと聞く。できれば、いずれよき指導者として後進の育成に当たって頂きたいものだが、コーチとなった倉さんとの兼ね合いもあるだろうし、今は何より故障を治し、しっかりと骨休めをして頂きたい

この次の休日に一日寝てみむと
思ひすごしぬ
三年このかた

石原選手、長い間、ありがとうございました。