リプレー検証にみる将来の審判制度のあり方・考

MLBでは2014年から導入されているリプレー検証制度が2018年シーズンからNPBでも導入された。報知新聞の記事によると、NPBにおいて、判定の変更回数は2018年シーズンで162回、2019年シーズンで176回となっている。これをどのように評価すべきなのだろうか。

審判の「完全なる無謬性」は無理な話だが、可能な限りの「納得性」を得るためのアプローチは・・

いうまでもないことであるが、審判の正確性・公平性はフェアな競技運営を確保する上で必要不可欠な前提条件である。誤審が相次ぎ、それにより試合結果を頻繁に左右し始めると、ファンも選手も白けてしまう。そのため、ごく規範的にいえば判定の誤りはゼロであるべきである。

ただし、判定を行うのも人間である以上、過誤をゼロにすることは原理的に不可能なことも事実である。また、判定の当否を確認するために過度に時間を費やしてしまうと、ゲームの流れやリズムを狂わせたり、興行面でもエンタメ性を低下させる原因になりかねない。さらに、野球ではサッカーや柔道などに比べれば審判の主観的判断を要するシーンは多くないが、それでも守備妨害への該当性など、際どいケースには端的に審判の判断に委ねざるを得ないことも考えられる。

このように、限られた判断時間の中で判定の無謬性を確保することはどだい無理な話であるが、可能な限りそれに近づけ、競技関係者やファンの納得度を極大化するため、各競技団体では、①「権威の所在」としての審判の判断を尊重する共通理解を醸成するか、もしくは②限られた判断時間の中で競技関係者の確認の機会を設けるか、のいずれかのアプローチを模索してきたように思う。

このうち、②のアプローチは、確認の機会を設けることにプレーを中断することになる点においてデメリットはあるが、端的に当事者間の確認プロセスを経ながら競技を進めていけるので納得性は高い。一方、①のアプローチは、審判が「権威」を持ち続けるためには、最低限、「他の方法と比べても最も判定の正確性が確保できる」という信認を獲得し続ける必要があり、そのためには審判・競技当事者双方の努力や、ファンからの理解が必要となる。

 これまで多くの競技では①のアプローチを重視してきたように思われるが、②のアプローチの例として大相撲の「物言い」の制度があげられる。①・②を含め、どのような審判制度が最も優れているかについては、一概に決めつけることはできないのであって、端的に「限られた判断時間の中で判定の正確性」を可能な限り高められるよう、それぞれの競技の性質を踏まえつつ、不断に模索され続けられるべきもの、と考える。

リプレー検証による判定変更は3~5試合に一度程度の頻度で発生

リプレー検証による判定変更の頻度について、恐らく選手やスタッフにしてみると想定の範囲内であり仕方ないと思える水準なのだろうと思う。少なくとも自分を含む素人が審判を行った場合に、これより低水準の過誤率を達成できる自信は到底ない。ただ、現場の審判方には大変酷な物の言い方となり、まことに申し訳ないのだが、あえて「規範的にいえば誤審はゼロであるべき」という視点からいうと、年160~170回もの判定変更というのは、いざ数字をみてしまうと「ちょっと多いな」という感想を抱いてしまう。2018~19年シーズンのNPBの年間総試合数は858であり、少なくとも5試合に一度の頻度で誤判定が生じていたことを意味する。しかも、塁審より前方の打球やストライク・ボールの判定などはリクエスト制度の対象に含まれておらず、もし当該対象外のプレーまで含めれば、実際の誤判定数はもっと多いのだろう、と想像される。

これはNPBに限った話ではない。MLBでも年600~800回程度の判定の変更が行われている。MLBではリプレー検証制度導入にあたって各球場のカメラ台数の増設を図った点などにおいてNPBとを単純に比較できないが、MLBにおける判定変更頻度は、NPBより高い3~4試合に一度の割合となっている。

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MLBNPBにおけるリプレー検証により判定変更回数

多い判定変更回数は、人間の認知能力の限界の「見える化

思うに、これだけの判定変更の発生は、審判が悪いのではなく、端的に人間の認知能力の限界なのではないか。そのことは今も昔も変わるとことはない。ただ、昔であれば、過誤の生じる頻度も不明だったし、カメラ設置台数や画質の制約から検証可能性も低かっただろうが、近年、映像の画質が向上するとともに、インターネット動画サイトなどで多数者の目に触れやすくなった。このように「判定ミスの見える化」が進んでしまったように思えてならない。

「判定ミスの見える化」の行き着く先は、あまり誰もが望んでいる帰結ではないけれど、それでも審判の権威の低下なのではないか。

今後、審判の権威ではなく、関係当事者の了解を前提とした審判制度(上述の①のアプローチに比較的近い発想)がとり入れられていく流れは止められないと思う。むやみにプレーを止めるのも憚られるが、さりとてリプレー検証の範囲拡大が俎上に上る可能性は十分に考えられる。また、やがてAIが発達してにつれ、AIによる判断を主体にする領域が徐々に拡大していくことも予想できる。概念的には、AIのアルゴリズムについて関係当事者間で事前了解をとっておき、その上での機械の個別判断に従うという仕組みを意味する。

一方で、判定を機械任せにすると、機械を騙すプレーが登場することが考えられる。そうなってくるとルールの微調整が必要となってくるのか、あるいはその限りにおいて引き続き人間の審判の判断余地が残されるということなのか。

見える化」した誤判定の件数をみていると、だからといって審判を責める気になれない一方、どうしてもそのような思いを致してしまう。