沢村賞Predictorなる計算式を作ってみた件(後編)

前回の記事では、沢村賞の選考要件7項目が実態としてどのように「総合判断」されてきたのか分析し、その結果、選考上、勝利数の多さに特に比重が置かれてきたことを説明した。それでは、こうした選考方法は、MLBのサイヤング賞の選考基準や、セイバーメトリクスの考え方との比較において、どのように評価されるべきなのだろうか。

実は沢村賞の選考基準はサイヤング賞と実は似ている

サイヤング賞の選考に関しては、米国のスポーツ専門チャネル「ESPN」が「Cy Young Predictor」なる計算式を設けて受賞者予想を立てている。この計算式は、具体的には「(投球回数×5)÷9-失点+奪三振数÷12+セーブ数×2.5+完封数+勝利数×6-敗戦数×2+地区優勝ボーナス(12点)」というものであり、投球回数や勝利数などが勘案されている点において、沢村賞の選考基準と似ている。

この「Cy Young predictor」の計算式をNPBに当てはめてみると次表のとおりとなる。ピンク色シャドーが、Cy Young Predictor最上位者のうち、実際に沢村賞を受賞した投手を示す。興味深いことに、「Cy Young predictor」の計算結果と沢村賞の選考結果は、かなり合致している。サイヤング賞は沢村賞と異なり対象が先発投手に限られないため、「Cy Young predictor」はクローザーが最上位になり得る計算式となっているが、対象を先発投手に限ると、結果的に7割以上の的中率となっており、(沢村賞Predictorほどではないが、というといささか手前味噌であるが――)そのまま沢村賞Predictorとしても良いような精度の高さを誇る。

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Cy Young predictorを使った沢村賞受賞者の試算

ただ、もし「Cy Young predictor」が「シーズンで最も活躍した投手」を正確に表わせているのだとすると、特に近年、NPBにおける「Cy Young predictor」の最上位者すなわち「最も活躍した投手」が救援投手となっているケースが多い点は、沢村賞という表彰制度のあり方という観点から気になる。

因みに「小松式ドネーション」の最上位者も整理すると次のとおりとなる。「小松式ドネーション」は、セーブ数だけでなくホールド数も勘案するため、久保田投手(阪神)のように中継ぎ投手が最上位者となるケースがある点が特徴的だ。いずれにせよ、勝利への貢献度における救援投手の比重が高まっていることは間違いなく、いずれ「傑出した救援投手より見劣りする先発投手」を沢村賞に選考せざるを得ない日がやってきた場合、表彰制度の権威低下を招くおそれも否定しきれないように思う。

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「小松式ドネーション」を使った沢村賞受賞者の予想

「小松式ドネーション」最上位者が必ずしも沢村賞を受賞できていないのは、一定程度投球の「質」が評価ポイントとなっている証左

それでは、沢村賞の選考基準をセイバーメトリクスの考え方に照らして評価すると、どのようなことが言えるのだろうか。

まず、(先発投手に関しては)勝利数と投球回数のみを勘案している――いわばセイバーメトリクスの考え方の対極にある――「小松式ドネーション」と比べてみよう。上表のとおり、先発投手に限ってみても「小松式ドネーション」の最上位者と沢村賞の受賞者とは、7割以上のケースにおいて合致しない。このことは、沢村賞の選考基準(やCY Young Predictor)では、奪三振数や防御率など、投球の「質」に着目した評価項目が含まれており、「ある程度は」セイバーメトリクスの目指す「投手自身のパフォーマンス」を考慮に入れようとしていることを示唆しているように思う。

セイバーメトリクスの観点からは、それでも「勝利数」を偏重しているようにみえる

ただ、セイバーメトリクスでは、そもそも「勝利数(・勝率)」は投手の純粋なパフォーマンスを反映しない(打線の援護や相手投手との組み合わせなどの要因が強く働く)ため、重視しない立場がとられており、そうした観点からみると、やはり沢村賞の選考基準は勝利数を偏重しているように映る

セイバーメトリクスの指標として、このブログでよく使っているFIPをベースに算出したWAR (Wins Above Replacement)、RSAA (Runs Saved Above Average、特定の投手が登板時に平均的な投手に比べてどの程度失点を防いでいるかを示す指標)の歴代最上位者を次表のとおり整理してみた。ピンク色のシャドーが付されているのが沢村賞受賞者であり、これらの指標の最上位者が沢村賞を受賞したケースは、せいぜい4~5割程度に過ぎない。

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WARの最上位者と沢村賞受賞者

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RSAAの最上級と沢村賞受賞者

そして、「CY Young Predictor」の算式(「優勝ボーナス」を加味)をみて改めて思うのは、勝利数の偏重によってもたらされる最大の問題は、優勝チームなど、救援投手陣や打撃陣を含む戦力の高いチームの投手が有利になり、弱小チームの好投手が浮かばれないことだ。

デグロム投手のサイヤング賞受賞は、評価目線の変化を意味するか

この点、打線の援護の弱い投手デグロム投手(メッツ)がサイヤング賞を受賞(2018年・2019年)したのは、日本でも大きなニュースとなった。デグロム投手の2018・2019年の勝敗数は、それぞれ10勝9敗、11勝8敗であり、正直「全米最高の投手」とは思い難い数字である。ただ、2018年には防御率1.70、2019年には255奪三振を記録するなど、投球内容はなるほど傑出しており、「勝敗数」にかかわらず「投球の質」に着目して選考されたことは明らかだろう。

先発投手に対する打線の援護率については、いずれしっかりと分析したいと思っているのだが、例えば2018年のデグロム投手への援護率は、217イニングもの投球回を通じて「9イニングあたり2.9点」という、泣きたくなるような低水準にとどまっており、このことが「傑出した防御率である割には、勝利数が少ない」ことの根源となっている。

ただ、以下、やや雑駁な感想になってしまうのだが、このことが直ちに将来にわたるサイヤング賞の評価方法の変化を意味するのかどうかは、もう暫く様子をみる必要があるように思う。

なぜなら、ESPNのCy Young predictorによる計算結果と沢村賞受賞者が、期せずしてかなり合致していることは、良しにつけ悪しきにつけ「勝利数重視」の評価目線が、実は(暗黙の裡に形成された)日米共通のファン目線である可能性を示唆しているからだ。もしそのとおりだとすると、興行である以上、ファン目線を一刀両断に「時代遅れ」と論難するのはセイバー厨の独りよがりに他ならない。ただ、デグロム投手の投球内容があまりに傑出していたため、「さすがにデグロム投手については評価せざるを得ない」という合意形成が図られたということなのだと想像する。ただ、先行きについては分からない。一般に「伝統と権威を誇る」表彰制度には、時系列的な一貫性と同時期的な公平性の両方が求められるため、一晩にして評価目線が切り替わるということは考え難く、「無援護だが優れた投球内容」の投手が現れる都度、従来からの評価目線の修正の要否が試され、いつしか評価目線のシフトが図られていくのではなかろうか。そのため、後世から振り返ったとき、気付いてみたら2018年のデグロム投手の活躍が「実は評価目線が変化していく第一歩目だった」という評価になる可能性は十分に考えられるが、「数少ない例外的ケースだった」という語り草に終わる可能性もないとは言えない。

沢村賞」のあり方への示唆:野球の質が変化していく中、表彰制度をどのように維持していくか、という問題

今回のシリーズのまとめ、というか、データ分析を行う中での筆者の感想に近いことを述べさせて頂きたい。

沢村賞の「先発完投型」というコンセプトや選考基準が時代遅れになっているとの指摘は、既に散々言われてきたとおりだが、特にやり玉にされやすい「完投数」基準については、達成者が激減した中、最低限の完投数を求めつつも、なし崩し的に「死文化」しつつあるのが実態のようにみえる。その結果、7項目を考慮するとしつつ、「勝利数」を重視した選考基準として運用されているように見受けられる。こうした「勝利数」重視の目線は、セイバー厨的には偏った見方ということになろうが、実はサイヤング賞における評価目線とかなり共通しており、これこそ日米の多数ファンの見方なのではないかと思える。

筆者自身は「ファンの多くが今年もっとも輝いたと思う投手」を表彰するのは一つの見識であり、セイバーメトリクスの考え方に即した評価基準に修正していくことが必ずしも正義だとは考えていない。ただし、勝利数を重視した評価基準では、特に優勝チームで打線の援護をよく受けられた投手が有利となり、いずれNPBに「無援護だけど著しく傑出した投球内容」の投手が現れたとき、従来からのアプローチどおりではさすがにファンの支持を得られないおそれがでてきて、悩むことになるだろう。また、勝利への貢献度における救援投手の比重が高まる中、対象を先発投手に限る扱いをいつまで続けるべきか、という論点もあるだろう。

このように、記者なり選手間なりの投票によって決する表彰制度については、しばしば選考基準の透明性・客観性が求められがちなのだが、制度の永続性を確保するためには、野球の質やファン目線の変化に応じ、少しずつ、けれど柔軟に評価目線を変化させていけるよう設計することが望ましい。この点、沢村賞については、「江川か西本か」問題で江川投手を選外として以降、透明性・客観性の確保に軸足を移し過ぎてしまい、柔軟性を失ってしまった感が否めない。金看板の「先発完投型」とやらは、当初から金科玉条だったわけではなく、単に大昔は「最も傑出した投手」が事実上、先発完投型の投手に限られていたに過ぎないのではないか。1980年代初に、70年代までの選考実績を基に選考要素を項目化したがゆえに、野球の変化にかかわらず選考基準が70年代でフリーズされてしまっている、ということのように思えてならない(同様の論点は、「名球会」の入会資格にも当てはまる)。この点、穿った見方かもしれないが、2018年以降、クオリティスタートに近い基準を「補足項目」を設けたのは、沢村賞の「完投型」という金看板をこっそりとひっそりと修正しようとする試みなのかもしれない。

このように野球の質やファンの目線が移ろう中、一貫性のある権威ある表彰制度を維持するのはいずれにせよ難しいわけだが、筆者自身は、表彰制度がどうであれ、リーグ最高の投手は大瀬良投手だという贔屓目をもっている。2021年シーズンは手術明けからの復帰から始まることになるわけだが、何としても完全復帰し、沢村賞の受賞を目指して欲しいと願うばかりだ。