クリスマスに敢えて「護摩行」について考えてみた件

いつから護摩行がカープの1月の風物詩になったのか分からないが、少なくともアライさんは2004年から、石原選手も06年から鹿児島市の景福寺や高野山清浄心院護摩行に臨んでいる。17年からは會澤選手や堂林選手も参加するようになり、野間選手も「場所極秘」にて自主トレに護摩行をとり入れているそうだ。選手会長田中広輔選手は「お断り」したそうだし、堂林選手が鈴木誠也を誘うも完全に断られたそうだが、このようにチーム内に護摩行の「輪」が広がっている。今オフはコロナ禍の影響もあるし、石原選手が引退したのでどうなるか分からないが・・。

そんなわけで、本日は、本ブログの主題とは離れてしまうが「護摩行」について、無宗教の野球ファンの立場から少しだけ考察したい。特に宗教関係者からみるともしかして不正確であったり、快くない表現振りもあるかもしれないので、その点、予めご容赦願いたい。

そもそも護摩とは

まず、「護摩」とはインドの古代ヒンドゥー教バラモン教)を起源とする火を用いた宗教儀礼であり、サンスクリット語の「homa」の音写とされる。なお、日本では意をとって「梵」「梵焼」と表記されることもあるが、その読み方が「そよぎ」でなく「ぼん」「ぼんしょう」であることは言うまでもない。

護摩」はやがてインドで大乗仏教にとり入れられ、各地に伝播していったわけだが、インドや中国、朝鮮半島ではいつしか廃れ、現在に至るまで残存しているのはチベットと日本だけである。その日本でも護摩を修法としている主要宗派は、平安時代の初めに中国から密教をとり入れた真言宗天台宗のみである(因みにオリックスのコーチとなった梵英心さんの実家・専法寺は浄土真宗)。

平安仏教の「社会的要請」

改めて興味深いのは、護摩をとり入れた平安仏教(真言宗天台宗)がなぜ日本社会で受け入れられ、支持され続けてきたのか、という点である。この点、筆者は近世までの日本史上、宗教の果たしてきた役割は①哲学を追究する学問機関、②社会大衆の安寧を支える社会的存在、③王権の正統性・権威を支える装置、の3つに大別できるのではないかと考えており、以下、この整理に基づき考察する。

このうち③については、歴史の教科書でよく言われているとおり、奈良時代も末期に差し掛かると、仏僧(道鏡)が皇位を窺うほどまでに仏教勢力が政治的専横を高めたため、朝廷が奈良仏教に対抗し得る「新しい仏教」を必要とした事情が考えられる。特に天台宗については「国家とともに歩んだ鎮護国家の宗派」として中世まで確固たる地位を保ち続けた。例えば「平家物語」で平清盛東大寺を焼き討ちしたことより比叡山の僧兵の担ぐ神輿に矢を射かけたことの方がセンセーショナルに描かれているのは、天台宗の特別な格の高さの現れといえよう。時代が下っても、徳川家康は、もともと浄土宗の家門であったわけだが、政権奪取に色気を出し始めた辺りから政治僧・天海を登用し、天台宗に帰依している(徳川家の菩提寺が都内に2つ――増上寺(浄土宗)と寛永寺天台宗)――あるのもそれが理由)。

ただ、いかに政治的支えがあったとしても、人々に訴求し、納得させられる理論や仕掛けなしに宗教としての成功はあり得ない。この点、密教は、言語化されない宗教体験(儀式・儀礼)を重視する点において神秘的であり、けれど同時に「火」や「法具」など、その神秘性を視覚的に捉えさせる象徴主義的性格があるため、人間心理への訴求力が高かったのではないか、と思う。護摩もその一つで、閉鎖的な空間の中で燃え盛る炎を前に祈りを捧げる儀式は、神秘的でありながら、精神的修練の手法として、確かに分かり易い。

その上でなお、より多くの人々の理解を得られるよう、空海は、わが国古来の山岳信仰などを教義に包摂したほか、当時の主要宗派の教義体系を網羅し、密教の優位性を説きつつも融和に努めた。さらに、真言宗の二大経典とされる大日経金剛頂経ももともとは別個の起源といわれており、それらの理論的な「総合化」を果たした。このように元来ばらばらだった理論や思想を包摂しつつ体系化したことこそ、空海の宗教家としての偉大さなのではないかと思う。

さらに、平安仏教には、社会各層の安寧に繋がるよう、様々な仕掛けや取り組みがあったのではないかと考えている。

まず、密教の現世利益的側面である。真言宗では、宇宙(いわば現実界)を「大日如来」の現れとして人格的に捉えた上で、宗教的研鑽を通じ、大日如来の身体、言語、精神の三活動の密(三密)に、我々衆生の三密を合致させることにより、即身成仏できることを主な教義としている。多くの人々は(来世よりもまずは?)現世での幸福を祈りたいはずだ。従来宗派と比べ現世否定性を緩和した教義は、それ自体により平安貴族たちの支持を集めやすかったに違いない。なお、今年は新型コロナウイルスが感染拡大する中「三密(密閉、密集、密接)」回避が散々呼びかけられたが、「三密」とは元々仏教用語だったわけだ。思い出してみると、2000年代初に進められた「三位一体」の改革とやらも、元々はキリスト教用語である。教義とは無関係に、歴史の授業などで聞きかじったことのありそうな宗教用語が文字面だけとられてキャッチフレーズにされる現象再び、という気がする。

また、満濃池の改修や綜芸種智院の開学など空海の手がけた数多くの社会事業も、真言宗の支持拡大に寄与したとみてよいだろう。上記でも少し触れた密教の現世肯定性や包摂性の高さとも関係するのだが、密教には医学や数学、天文学など生活・文化全般にわたる経典が含まれるそうだ。空海は留学前から薬に対する知識が高かったとされるほか、もしかすると留学中、密教経典を通じて、地学や農業に関わる知識を得たのかもしれない。空海伝説は、讃岐うどんの製法を日本に持ち帰って広めた、全国各地で湧き井戸や泉を発見した、水銀の鉱脈を探し当てたなど多岐にわたっている。

以上を総合すると、平安仏教は、①民間信仰等の包摂を伴う総合性と人間心理への訴求力の高い理論体系の構築、②現世利益の重視や社会事業の実施を通じた社会大衆への訴求、③奈良仏教の政治的専横への対抗という政治的要請、といった要素がすべて相まって社会に受け入れられていったと考えられるのではないだろうか。

宗教が世俗化する中でも残る「体験性」の訴求力

その後、歴史が進むにつれ、宗教の政治権力性は低下し、学問研究や貧民救済などの機能も政府や大学に集約されていく。多くの近代社会において宗教は世俗化が進んだように思うが、個人的には、それでも人間の原始的感情としての宗教的感覚は多かれ少なかれどこかに残っていると考えている。そして、そうした宗教的感覚は、人生や人間社会の先行きの不確実性や、不確実性に対してどこか拭いきれない不安心理に由来するのではないかとみている。

そうした中、平安時代の人々の心を惹いた護摩行のような宗教的体験は、今日においてなお、宗教理論に知悉しているか否か、あるいはそれを支持するか否かにかかわらず、精神性の向上やご利益をどこか信じたくなる気持ちにさせる。ただ、平安仏教の宗教体験は鎌倉時代禅宗に比べると過酷なものが多く、護摩行も火炎が最高300度に達し、そんな中に一日中身を置けば火傷にならないわけがない。厳しい修行はどうしても肉体を限界に追い込むものが多い。その最たるものが千日回峰行であり、勤行、断食、十万枚大護摩供と死と向かい合わせの過酷な苦行のオンパレードである。千日回峰行の満行者は「北嶺大先達大行満大阿闍梨」と呼ばれ、人々から尊崇の念を集めることは、ただただ素直に頷ける。そこまでやれば悟りが開けるというべきか、そこまでやらないと悟りは開けないというべきか・・。

思うに野球は、もちろん命をかけた実力勝負なのだが、勝負ごとには常に不確実性が付きまとうし、その中で勝ち抜くための精神修養が必要であることも間違いない。護摩行にはそんな選手たちの思いが込められているということなのだろう。くれぐれも火傷にご注意頂きたいと思いつつ、気持ちを引き締めるとともに、ご利益を呼び込めるのであれば、一つのトレーニング法なのかもしれない。

今年はコロナ禍の異例づくしの年末となるが、もし帰省などする場合には「護摩の灰(高野聖になりすまして弘法大師護摩の灰と偽り押し売りをした者がいたことから、旅客などに騙して売る者や押し売りする者のことをいう諺)」に遭わないよう、注意したいところだ。