野球用語・考

変えて欲しい野球用語「人的補償

日本球界の中でどうしても変えて欲しい用語がある。それは、フリーエージェント(FA)制における「人的補償」である。その選手があたかも償いのための供出物のような語感があり、いかにもネガティブな印象を与えてしまう。特に一昨年のオフにカープが獲得した長野選手のような球界の功労者に対し、「人的補償」という言い方をするのは失礼だと思う。

もしかすると、そういうネガティブな語感を「トレード」という言葉にも覚えるという人がいるかもしれないが、曲がりなりにもトレードでは、球団の有する選手との契約権を交換しているので、間違ってはいない。これに対し、FA制度では、選手が移籍元チームとの契約権を解除し移籍先チームと契約しているのであって、契約的な観点からいうと、移籍元チームの有していた契約権喪失に関して、移籍先チームが移籍元チームに償うべき債務を負うような話ではない。ここでいう「補償」の内実は、そうではなく、興行上、一方的な選出流出・流入による戦力不均衡化を回避するための方策なのだから、制度趣旨に照らして正確性を期すなら「補償」というより「代替措置」であるべきだ。そのため、「人的補償」という用語は、せめて例えば「代替選手指名」くらいの表現に変更することはできないものか。

野球は和製英語の宝庫

この他、変というわけではないが、野球用語は和製英語の宝庫である。

最も面白いのは、わが国での野球の長い歴史の中で、もともと英語として入ってきた用語が和訳され、何故かそれを日本人が再び英訳した結果として和製英語が出来上がったケースである。base on balls(またはwalk)→四球→フォアボール、hit by pitch→死球→デッドボール、single(またはa base hit)→単打→シングルヒット、double→二塁打→ツーベースヒット、triple→三塁打スリーベースヒット、fast ball→直球→ストレートなど。なお、球種のことをいいだすと、近年米国ではあまりシュートと言わなくなってきているが、これは表現の違いというより球種自体の微妙な相違を含んでいるように思われるところ、日を改めて考察することにしたい。

誰かの聞き間違いによってか、元の用語が妙な片仮名に変化したケースもある。tag out→タッチアウト、tag up→タッチアップなど。いずれも「鬼ごっこ(tag)」から想起されたネーミングである。このうち、タッチアウトについては接触を伴うプレーなので聞き間違いもやむを得ないが、タッチアップについてはよくよく考えてみると、聞き間違えた理由自体が謎である。

日本人に馴染みやすい英単語を組み合わせてできた和製英語も少なくない。inside-the-park homerun→ランニングホームラン、ground-rule double→エンタイトルツーベース、bad hop(ないしwild bounce)→イレギュラーバウンド、on-deck circle(ないしdeck)→ネクストバッターサークル、check-swing→ハーフスウィング、can of corn→イージーフライ、two-strike bunt→スリーバントなど。ダブルプレーのことをゲッツー(get two)という人がいるが、これも和製英語である。

完全なる和製英語というほどでもないが、日本語としての字数を短縮化するべく、前置詞をとるなど英語表現を「加工」してできた用語もある。hit for the cycle→サイクルヒット、error of fielder's choice→フィルダーズチョイスなど。思うにtwo run hitのことを「ツーラン・・」ではなく二点タイムリー(ヒット)というのは、two-run homerを縮めて単に「ツーラン」というようになったため、それとの混同回避の観点なのかもしれない。そういえば「タイムリーヒット」自体が和製英語である。絶対に使わないわけでもないらしいが、two run hit、RBI singleのように打点に着目した表現か、またはclutch hitという言い方の方が一般的である。

一方、そういえば昔はcloserのことをストッパーといっていたが、こちらについてはいつしか和製英語が放棄された感がある。投手の分業制が整備され、救援投手の役割分担が細分化されていく中で、用語も見直されたということか。

なお、上記とは逆に和製英語が米国に逆輸出されたケースもなくはない。どこまで一般化しているか分からないが、米国のテレビ放送でも「ナイター」「サヨナラ」は聞いたことがある。「サヨナラ」は劇的でもありあっけなくもある幕切れを手短に表現するには、「walk-off」なんていわれるより適しているのかもしれない。

あと、語法が全く異なるというほどでもないが、敵地でのゲームのことをvisitorという頻度は日本の方が高く、米国でも通じない表現ではないと思うが、awayの方が確かによく見かける(例えばMLB.comの公式スケジュールではawayが用いられている)。また、日本でもサッカーについてはawayが一般的な気がする。小生は言語的にどちらが相応しいか判定する能力を持たないが、とりあえず、visitorは本拠地で迎える側からみた表現で、awayの方が敵地に乗り込む側からみた表現という語感がある。

さらに少し話がずれるが、「ブーイング」の含意するところも日米で少し異なっているように思う。日本におけるブーイングの実態は罵詈雑言を含むヤジであるが、メジャーリーグでは観客がただ「ブー」という、文字どおりのブーイングである場合が多い。ホームのファンは敵地の主力選手に対し言いたいことの一つや二つあるかもしれないが、そんな万感の思いを、意味をなさない「ブー」という音に込めるのは悪くない。確かイチローさんも現役時代、敵地でのブーイングはスーパースターの証というふうに語っていたように記憶している。こちらは用語の問題ではなく、ブーイングという言葉に表象される行為について、日本のファンがメジャーを見習うべきなのではないかと思ったりする(なお、決して米国のファンの方が品行方正だと言うつもりはなく、米国でも罵詈雑言を含むヤジをとばしている人自体は珍しくない)。

最後に、こういう話を始めるとやはりどうしても言及してしまうのは「野球」という訳語の秀逸さである。baseballを文字どおりに訳すと「塁球」かもしれないし、台湾などではバットに着目して「棒球」と訳されている。これらの訳し方に比べ「野球」という言葉には、フィールドで行う球技の一丁目一番地という語感がある。明治時代の先人たちにとって、他の球技がまだあまり輸入されていなかっただけということかもしれないし、あるいはもっとうまい訳語が見当たらなかったという消極的選択の結果に過ぎないのかもしれないが、結果的に、こうした秀逸な訳語を当てられたことは近代日本における野球の普及に何らか寄与した可能性がある。 そう思うと大学で草創期の野球を楽しんだ正岡子規野球殿堂入りしたのは頷ける気がする。