続・野球の歴史の話:投手の分業制確立の背景

前回の記事では、長い野球の歴史の中で1990年代初にかけて投手の分業制が確立していった姿を説明した。それではなぜ投手陣について分業化を進めていく必要が生じたのだろうか。

奪三振数が目にみえて増加

1950年以降の投手陣に関する最大の変化点は、奪三振数(打者からみると三振数)の増加ではないかと思う。
1980年代頃までは1試合あたり奪三振数は平均4~5個程度で推移してきたが、徐々に上昇し、足許では平均で7個を上回る水準となっている。その一方で与四死球数はほぼ横ばいであり、要は投手陣全体として、高い制球力のもと「投手の実力でアウトをとる能力」が高まってきていることが分かる。

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NPBにおける奪三振数(1試合当たり)の推移

そして、投手陣全体としての奪三振率能力の向上は、個々の投手の能力向上という面だけでなく、投手の分業制の確立による部分も大きいとみられる。
それでは、何故、投手の分業制の確立などを通じ、奪三振率能力の向上を図っていく必要が生じたのだろうか。野球の歴史を振り返りながら考えていきたい。

1960年代は投高打低の時代

野球の歴史を古くまで遡ってみると、1950年代後半から60年代にかけては、NPB全体として投高打低であった。
NPB全体としての打率の推移をみると、50年代後半から60年代にかけては、概ね2割3分~4分台であった。70年代半ば以降は比較的安定的に2割6分前後で推移しているのと比べ、目に見えて投手優位であったといえる。
1試合当たり得点数をみても、50年代半ばから60年代にかけては、徐々に増加しつつも3点台後半にとどまっていた。これが4点台に乗るのは70年代半ば以降で、それ以降は(いわゆる「加藤球」が使われていた2011~12年を除き)概ね4点台前半で推移している。

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NPBにおける打率・得点数(1試合当たり)の推移

なお、得点数が60年代を通じて徐々に増加していった背景には本塁打数の増加が影響している可能性がある。1試合当たりの本塁打数は、50年代半ばには約0.5本だったが、70年代までは一貫して増加傾向が続き、ピーク年は山本浩二さんが2度目の本塁打王となった80年で、1試合当たり1.3本にまで達した。

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NPBにおける本塁打数の推移

ただ、上記の計数をみる限り、攻撃力の低い状態からの打率・得点数の増加傾向は70年代半ばまでに落ち着き、以降は安定的に推移しているため、それだけでは90年代にかけて投手陣の分業制の整備が図られていったことの説明材料として不十分である。

BABIPは90年代まで上昇トレンド

ここで、セイバーメトリクスの指標の一つであるBABIPに着目してみたい。実は、BABIPについてみると、90年代まで上昇トレンドが続いている。
BABIPとは、以前、このブログの中でもとり上げたことがあるが、本塁打を除くインプレー打球のうち安打となった割合を示す指標(=(安打-本塁打)÷(打数-三振-本塁打犠飛))であり、運や野手の守備力次第で増減することがあっても、長い目でみると投手のタイプにかかわらず平均3割程度に収斂するとされる。
しかしながら、BABIPが安定的に3割前後で推移するようになったのは平成以降の話であり、過去を振り返ってみると、60年代のBABIPは概ね2割6分台で、70年代は2割7~8分程度、80年代に入っても2割8分台で推移している。初めて2割9分台に達したのが89年で、初の3割台は94年のことである。

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NPBにおけるBABIPの推移

このことが意味するのは、平成以降の投手は昭和の時代に比べ、たとえ被本塁打数が少なくてもインプレー打球の割合が高いと――つまり奪三振率が低いと――、高い被打率となってしまい十分な成績をあげられなくなっている、ということである。
それでは、何故、90年代にかけてBABIPの水準が上昇してきたかについては、十分な裏付けとなるデータを持ち合わせていないが、「ライナー率の高い選手はBABIPの面で僅かながらも恵まれ得る」との分析を踏まえると、打者の筋力や技術の向上に伴い「強い打球」が増加してきたことと関係があるのではないか、という仮説が成り立ちそうだ。

以上を総合すると、打者のパワーアップは90年代頃まで進み、いわばそれに対抗すべく「昔に比べ、投手陣が失点を防ぐためには、分業制の確立を含めできるだけ三振を奪える態勢整備が必要」との認識が高まっていったのではないかと想像される。

奪三振といえば、2010年に最多奪三振のタイトルを獲得した前田健太投手がツインズに移籍し、久しぶりに赤いユニフォームに袖を通したのをツイッターでみて、何だか懐かしく思えた。先発といい、中継ぎ・抑えといい、今シーズンのカープの投手陣は、これまでのところいまいち調子が上がっていないが、一層奮起してもらいたいものだ。