火消し屋と「防御率詐欺」の正体に迫る①

江戸時代において、火消し(消防士)は歌舞伎役者などと並び最もかっこよい男たちとされていた。投手の分業制が確立した現代野球においても、ピンチになってからの継投では、火消しが期待される。ピンチになってから「どうにかしてくれ」とマウンドに送られるのは酷な役回りだと思うが、同時に、前の投手から引き継いだ走者については、たとえ生還を許しても前の投手の自責点となり、「火消し屋」の防御率悪化には繋がらない。口さがないネットの世界では、前の投手が許した走者をよく生還させるのに、その印象の割に防御率が優れている投手のことを「防御率詐欺」と言う人がいる。

防御率詐欺」師の実態は何だろうか。また、野球の世界に火消しに強い「新門辰五郎」タイプの投手はいるのだろうか。本日から2回シリーズで、救援投手の「防御率詐欺」と「火消し」について考えてみたい。第1回の本日のテーマは「防御率詐欺」である。

走者ありの状態での継投

まず、前置きとして事実関係を整理する。1989~2020年のMLBで、走者ありの状態からの継投の回数は、継投全体の49.5%(継投回数41.3万回中、20.4万回)を占めている(もしかすると、救援投手を1イニング毎に区切る運用が主流化しているNPBより高いかもしれない)。

投手毎の走者ありの状態で継投したときの「引き継いだ平均走者数」の分布は、平均1.6人となっており、2度に1度以上は複数の走者を置いた状態でマウンドに送り込まれていることが分かる。

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前の投手から引き継いだ走者数の分布(1989~2020年MLB

また、引き継いだ走者のシーズン平均生還率の分布は、平均0.2~0.3人という投手が多い。平均1.6人の走者を引き継いでおきながら、生還者数が0.3人程度というのは継投によって結構踏ん張っている姿が窺われる。

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前の投手から引き継いだ走者の平均生還率(1989~2020年MLB

実はあまたに存在する「防御率詐欺」

さて、ここからが本題の「防御率詐欺」であるが、実は、統計処理の観点からいうと、「防御率詐欺」はあまたに存在する。防御率詐欺をあえて指標化すると「防御率-継投時に引き継いだ走者数の生還率(以下「引継走者生還率」という)×9」によって計算され、負値だと防御率の割に、引き継いだ走者を多く生還させている(=「防御率詐欺」の状態にある)ことを意味する。なんと、この値について、1989~2020年MLBにおける分布をみると、半数以上の救援投手が負値、つまり防御率詐欺の状態にあるではないか。

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防御率詐欺」度の分布(1989~2020年MLB

「引継走者生還率」については、1イニング当たりに許す平均走者数(WHIP)が低く、奪三振率が高い投手の方が、どちらかというと低めになり易い(=防御率詐欺に陥り難い)ことは確かだ。WHIP・奪三振率がMLB平均より「高い」投手・「低い」投手の別に「引継走者生還率」の分布をみると、WHIPの低い投手(①グラフの青色折れ線)や奪三振率の優れた投手(②グラフの赤色折れ線)の方が、分布の多い「山」が全体にやや左(数値の低い方)に寄っている。

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①WHIPが平均より「高い」投手と「低い」投手毎の引継走者生還率の分布

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②9回当たり奪三振率が平均より「高い」投手と「低い」投手毎の引継走者生還率の分布

ただ、これはあくまで相対的な傾向に過ぎず、WHIPや奪三振率と引継走者生還率との間に強い相関関係が認められるかというと、そうではない(WHIPと引継走者生還率との相関係数は0.187、9回当たり奪三振率と引継走者生還率との相関係数は▲0.124)。

また、「引継走者生還率」の年度間相関はおよそ認められない(年度間の相関係数は0.044)。つまり、「火消し屋」は投手の才能ではなく、その時々の調子や運不運に依存した、移ろいやすいものというべきだ。

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引継走者生還率の年度間相関(1989~2020年MLB

なぜこんなことになるのだろうか。

以前の記事でも紹介したとおり、投手は3アウトをとるまでに平均1.3人程度の走者を出すため(WHIP)、「走者あり」からの登板となると、平均1.3人の出塁を許しているうちに引き継いだ走者の生還を許す確率が高いからだと考えられる。

ここで、ひとつの簡単な試算として、全打者とも安打等(単打・二塁打三塁打本塁打四死球)の発生確率が2018~20年MLB全体平均並みと仮定したとき、「無死一二塁」の状況でマウンドに上がった投手が、順次打者との対戦を進めていくうちに連鎖的に遷移するアウトカウントや走者状況の発生確率や、期待失点数を計算してみた(マルコフ連鎖モデル)。

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WHIP別の引継走者生還率・自責点数の試算

この試算結果をみると、当然ながらWHIPの数値が高くなる(多くの走者を許す)ほど失点数が増加する(無死走者なしからの失点数試算のとおり)。無死一二塁の状態からの失点数について試算しても、このこと自体は変わらない(グラフの青色折れ線)。ただ、WHIPが高くなるにつれて失点数が増加する程度(逓増率)と比べ、引継走者生還率(茶色折れ線)は緩やかにしか上昇しない(逓増率が低い)。これを平たい表現で換言すると、投手の能力に関わらず、引き継いだ走者の生還を許す程度の出塁を許してしまう確率は高いが、優れた投手になるほど自責点が出るほどの出塁は許さない傾向がある、ということだ。その結果、WHIPが優れている投手こそ、自責点に属する失点率より引継走者生還率が上回り易くなる――つまり「防御率詐欺」となり易いことがみてとれる。

本日の結論は、「防御率詐欺」は実は救援投手の過半に上っているし、運不運に過ぎないことも多い。さらに、優れた投手ほど「防御率詐欺」に陥り易い。本当は優れた投手に対して「防御率詐欺」などというレッテルを貼ってはならないのである。

それでは、現代の新門辰五郎ともいうべき「火消し屋」の役割とは、本質的にどのようなものと理解すべきなのだろうか。この点については、次回、考察していくことにしたい。

ゴロPとフライボール革命について考える

ごく個人的に、長らく不思議に思えてきたことの一つとして、「近年、MLBではゴロよりもフライ打球の方が総じて得点確率が高いとする『フライボール革命』が唱えられていること」と「近年、MLBではグラウンド・ゴロ・ピッチャーは、被本塁打数が少なく、投球数も抑制できるため、評価されるようになっていること」との関係をどのように捉えるべきか、という謎があった。つまり、打者の側が「フライボール革命」を実行し、フライ打球の比率を高めた場合、投手がゴロ打球を浴びる確率は低下するはずであり、そうするとゴロ打球比率の高い「グラウンド・ゴロ・ピッチャー」(以下「ゴロP」という)はやがて絶滅危惧種になっていくのかどうか・・、という疑問である。

本日は、この疑問について分析してみた。

フライボール革命に関わらず減っていないゴロP

ファンの間の俗語である「ゴロP」にかっちりした定義はなさそうで、①三振率の高低にかかわらず、浴びた打球のうちゴロの比率が高い投手(広義ゴロP)のことをいう場合と、②三振率が高くない代わりにゴロアウトの比率が高い投手(狭義ゴロP)のことをいう場合がある。ただ、①・②のいずれにせよ、ゴロPといえる投手数は、少なくとも平成(1989年)以降をみる限り、目立った増減がみられない

まず、「広義ゴロP」こと①ゴロの比率の分布についてみてみよう。次図は、1989~2020年までの32年間を1989~96年、97~04年、2005年~12年、2013年~20年の8年ごとに分割し、MLBの全投手(注)の(イ)凡打・安打の両方を含む被打球のゴロ/フライ比率、(ロ)凡打に絞ったゴロアウト/フライアウト比率の分布について、推移を示している。これをみると、(イ)・(ロ)とも、分布がほぼ一定であることがみてとれる。つまり、投手の浴びた打球ないし投手の打ち取った打球に占めるゴロの比率は、この30年ほどの間、あまり変化が生じていないことが分かる。

(注)ただし、投球イニング数が2020年について20回、2019年以前について55回以上(=概ねチーム試合数÷3以上に相当)。本記事において以下同じ。

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ゴロ打球/フライ打球比率の分布の推移

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ゴロアウト/フライアウト比率の推移

「狭義ゴロP」こと②、奪三振率が平均より低い投手に絞って、ゴロアウトの比率の分布をみても、この30年程度のうちに目立った変化は生じていない。各シーズンの奪三振率が平均未満の投手の(ロ)ゴロアウト/フライアウト比率の推移は、次図のとおりとなっている。

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ゴロアウト/フライアウト比率の推移(奪三振率が平均未満の投手)

フライボール革命」の成果はフライ打球率ではなくフライ打球の質の向上

それでは「フライボール革命」の成果は殆どみられないということなのか、といわれると、そうではない。次図は、各投手のフライ被打球に占める被本塁打の比率について分布を示している。これをみると、平成以降の32年の歴史の中で、比率が徐々に上昇していることが分かる。

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フライ被打球に占める被本塁打の比率推移

また、同様に各投手のフライ被打球に占める内野フライの比率について分布をとってみると次図のとおりで、90年代末以降、比率水準が切り下がったことがみてとれる。

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フライ被打球に占める内野フライの比率推移

また、全打球に占めるライナー性の打球の比率は、2000年代にいったん低下したが、2010年代央以降、大幅に高まっている

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全被打球に占めるライナーの比率推移

このように、90年代と比べ足許では、フライ被打球の比率自体は大して変わらないものの、フライ被打球に占める本塁打の比率が高まり内野フライの比率が低下し、さらに足許ではライナー打球比率が高まっている。つまり、打者からみるとフライ打球の「質」が向上した、というのがフライボール革命の本質であったと考えられる。

ゴロPは投球数が少な目で被本塁打率も低い、というのは本当か

それでは、ゴロPについて「投球数が少な目で被本塁打率も低い」というのは本当なのだろうか。MLBの全投手を対象に、各シーズンの平均と比べ①ゴロアウト/フライアウト比率(以下「ゴロ率」という)が高く、奪三振率も高い、②ゴロ率が高く、奪三振率は低い、③ゴロ率が低く、奪三振率は高い、④ゴロ率が低く、奪三振率も低い、の4つのカテゴリー分類して、主な投手指標のパフォーマンス分布を比較してみた。

疑問1:ゴロPは投球数が少なめなのか?

(分析1)奪三振率が低く、ゴロ率の高い投手は、打者1人当たりに要する投球数は少なめ

まず、投手が対戦打者1人当たりに要する投球数について分布を整理すると次図のとおりとなる。打者1人当たり投球数の多さは、「ゴロ率高・三振率低<ゴロ率低・三振率低<ゴロ率高・三振率高<ゴロ率低・三振率高」、の順となっている。これをみると「三振が多さ」が最も重要なキーとなっており、奪三振率の高い投手の方が球数を要する。それに次ぐキーがゴロ率の高さで、ゴロ率が低い方が球数を要する傾向が窺える。

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対戦打者1人当たりに要する平均投球数の分布

(分析2)ゴロPであってもなくても、打球が安打になる確率(BABIP)に大差はない

セイバーメトリクスの世界では、投手のタイプにかかわらず、投手が打者から浴びた打球は、概ね3割程度の確率で安打となり、残り7割程度の確率で凡打に終わる、というセオリーがある(この確率のことを、本ブログでもしばしば登場するとおりBABIPという)。

BABIPの分布をみると、ゴロ率の低い投手の方が、僅かながらBABIPが低めとなる傾向が窺えるが、やはり僅差に過ぎず、このセオリーのいうとおり「大差はない」といってよいだろう。

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BABIP分布

(分析3)奪三振率の低い投手は、イニング中に許す走者数(WHIP)が多め

次に、投手が1イニングあたりに許す平均走者数(WHIP)についてみると、三振率の低いゴロPは、やはり多めとなっている。「やはり」というのは、投手のタイプにかかわらず三振以外の打球が安打になる確率(BABIP)に大差がないのだから、奪三振率が低い(=三振以外の打球が生まれる確率が高い)ほど安打を許す確率が高まるのは論理必然だからである。実際の分布を見ても次図のとおりとなっている。一方、ゴロ率によるWHIPの違いはあまりみられない。

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WHIP分布

(分析4)イニング全体の投球数は、ゴロPもそれ以外のタイプの投手も大差なし

上述のとおり、奪三振率の高い投手は打者1人当たりに要する投球数が多めとなる半面、イニング中に許す走者数が少ない――つまりイニング中に対戦を要する打者数が少なくて済む。このように投球数が増える要因と減る要因が同時に発生するため、仕上がりとしてイニング全体としての投球数の多寡は一概にいえない、ということになる。

次図は、イニング全体の投球数の代理変数として「(イニング中に許す走者数+3)×打者1人当たりに要する投球数」の分布を示したものであり、これをみると、確かにゴロ率の高い投手の方がやや投球数が少なめとなっているが、投手のタイプによる違いは限定的となっている。

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1イニング当たり投球数の分布

疑問2:ゴロPは被本塁打率が低いのか?

次に被本塁打率についてみると、「ゴロ率高・三振率高<ゴロ率高・三振率低=ゴロ率低・三振率高<ゴロ率低・三振率低」の順となっていることが分かる。確かに三振率が同程度であればゴロ率が高い方が被本塁打率を低く抑えられる傾向があるが、ゴロ率が平均以下でも奪三振率が高ければ(次図の濃い赤色折れ線グラフ)、「狭義ゴロP」(次図の水色折れ線グラフ)と同程度に被本塁打率を抑えられていることが分かる。

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本塁打率の分布

マダックスの謎

以上のデータを踏まえると、奪三振率が低く、ゴロ率が高い」狭義ゴロPが一般に「投球数少なめ」とは言えない、ということになる。

ただ、物事には例外が存在する。MLBでゴロPといったときに真っ先に思い出されるのがグレッグ・マダックス投手である。マダックス投手の全盛期といわれるブレーブス時代の奪三振数・ゴロ率は次図のとおりで、奪三振率は決して低くないが、ゴロアウトの比率が平均の倍近い水準に上っている。

このように典型的なゴロPだったわけだが、上記の分析結果と異なるのは試合全体を通した投球数が非常に少ないことである(因みに米国の野球ファンの間では、英語辞書に載らない動詞として、100球未満での完投のことを「マダックス」というらしい)。

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マダックス投手(ブレーブス在籍時代)のゴロアウト比率・奪三振

マダックス投手の特徴は、打者1人当たりに要する投球数が少ない上に、ランナーを出さない(WHIPが極めて低い)ことである。その理由を手許のデータだけから仔細に分析することは容易でないが、マダックス投手の四球率(BB%)が4~5%程度に過ぎない(平均は約8%)あたりをみる限り、コントロールが際立って良いため、「一見、打てそうなのにヒットにならない」際どいゾーンに際どい変化球を投げ込めていたということではないだろうか。

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マダックス投手(ブレーブス在籍時代)のWHIP・BABIP・BB%

本日の結論

・「フライボール革命」にかかわらず、この30年程度の間、MLBにおけるゴロ率は実はあまり変わっていない。「フライボール革命」の真相はフライ打球の質の向上に表れている

奪三振率が低く、ゴロ率が高い」ゴロPが投球数を抑制できているというのは本当ではない

・また、奪三振率が低く、ゴロ率が高い」ゴロPは、必ずしも被本塁打率が低いわけでもない。ただ、奪三振率が同等の投手同士で比べれば、ゴロ率の高い投手の方が被本塁打率を抑制できていることは確か。

・以上を総合すると、ゴロPというのは投手のタイプであって一概にパフォーマンスを示唆するものではない(以前の記事で述べた打者のタイプ別分類と似た話)。奪三振率が同程度であればゴロ率が高い方が被本塁打率が低いなど良い面もあるが、全体的傾向としてはやはり、まずは奪三振能力の高さが相当程度投手のパフォーマンスを規定している。強いて言えば「奪三振能力が高いことが最も重要で、かつ、できれば被打球がゴロになる確率の高い投手」が最もパフォーマンスが上がり易い、ということではないだろうか。

インディアンスのチーム名変更に想う

クリーブランド・インディアンスのチーム名変更

本日は、データ分析作業の合間に綴る随想である。

クリーブランド・インディアンスの名称変更のニュースには驚いた。驚いているようでは、ポリティカル・コレクトネスへの感性が不十分だったことの証左なのかもしれないが、何にせよ100年以上用いてきた名称を放棄するのは勇気のいることであり、球団の判断に敬意を表したい。

球団の名誉のために申し上げておくと、インディアンスという名称にした1915年当時の関係者に悪意はなく、19世紀末にクリーブランドで活躍し、1913年に他界した、ネイティブ・アメリカン初のプロ野球選手(とされる)ルイス・ソカレキス選手を顕彰する意味合いだったらしい。とはいえ、1915年当時は「インディアン」という呼称が悪気なく使われたのだろうが、少なくとも今日的には差別的表現である。一部からは名残惜しさを唱えられているようだが、ネイティブ・アメリカンの市民団体が長年にわたって訴えてきた事情なども考え合わせると、チーム名変更は時代の流れと言わざるを得ないだろう。既にNFLではワシントン・レッドスキンズが改名したし、大学スポーツ界では差別的意匠の使用が禁止となっている。そういう理屈を突き詰め始めると、同様にネイティブ・アメリカンを想起させる「ブレーブス」はその名称を維持できるのだろうか。日本では期せずして「ブレーブス」は消滅したわけだが・・。

インディアンスとカープとの縁

ところで、「クリーブランド・インディアンス」はカープとも深い縁がある。1970~80年代にかけて、NPBでは米国でのキャンプ催行がブームのようになり、カープも1972年にアリゾナでキャンプを催し、そこで隣り合わせとなり、指導してくれたチームこそインディアンスであった。そして、当時、インディアンスのコーチだったジョー・ルーツ氏は、その後カープの招聘を受け、監督となり、そして初優勝に導いてくれた。

ルーツ氏はカープに多くのものをもたらしてくれた。何より初優勝なのだが、1975年に「赤ヘル」にしたのもルーツ氏の発案である。時々勘違いされがちだが、「赤ヘル」のお手本はシンシナティ・レッズではなく、ルーツ氏のいたインディアンスである。勘違いのもとは、カープのユニフォームが1989年以降レッズ風になったことと、1970年代以降、インディアンスのユニフォームが紺色主体のものに変更されたことだろう。ただ、1965年代後半のインディアンスの帽子は赤の地に、紺色で「C」文字が描かれたデザインとなっており、そういえばカープも「赤ヘル」導入後長らく「C」文字が紺色であった。インディアンスの「C」は「Cleveland」の頭文字であり、カープと頭文字が一致したのはほんの「26分の1の偶然」なのだろうが面白い。また、インディアンスのユニフォームは伝統的に赤色と紺色の組み合わせであることが多く、「赤ヘル」導入前のユニフォーム等が紺色だったカープと期せずして使用色が似通っている(カープのユニフォームから紺色は消滅したが、球団旗は今でも紺色である)。

因みにルーツ氏は、カープだけでなく日本球界全体にも多くのものをもたらした。まずもってNPB初の外国人監督である。また、以前の記事でも紹介したとおり、先発投手のローテーション制を初めて導入したのもルーツ氏である。また、進塁打のプラス査定や、ベンチにスポーツドリンクを常備する運用もルーツ監督以降だという。

カープ」のチーム名

V1記念広島東洋カープ球団史」によると、時代を遡り、カープも球団創設時(1950年)、チーム名が議論され、主な候補がカープの他、レインボー(虹)、アトムズ原子爆弾)、ブラックベア(黒熊)、ピジョン(鳩)だったらしい。また、ボツになった理由は、それぞれ次のとおりらしい。

・レインボー→美しいがすぐ消える。

アトムズ→ノーモアという見地からと、別の意味では、強力といったことも含んでおり、有力であったが、明朗を尊ぶスポーツに深刻な政治性をもたせることは避けるべきということになった(原文ママ)。

・ブラックベア→強そうな名前だが、感じが暗い。

ピジョン→平和都市広島を表現するには最適だが、強さに乏しいうらみがある。

いろいろ議論した結果、カープこそ「出世の魚であり、滝のぼりする躍進の魚でもある。広島城は鯉城とも呼ばれ、太田川は鯉の名産地でもある。広島を表現するのに、これ以上の名前はあるまい」ということになり、カープに決したそうだ。

ブラックベアだったならば、その後もなかなか「赤ヘル」にはなりにくかったかもしれない。つくづくカープで良かったと思う。因みに後年の「サンケイアトムズ」は、グループ会社のフジテレビがアニメ放送を開始した「鉄腕アトム」に因んでつけられたものである。

カープ」の名づけ親である谷川昇氏(元・内務省警保局長、戦後、衆議院議員となったが当時は公職追放中)は、「文献によると、鯉は諸魚の長となす。形既に愛す可く又神変乃至飛越をよくす、とある。また己斐(編註:こい、広島市西区の地名)は鯉から転化したものであり、恋にも通ずる」と述べておられる。

カープ」か「カープス」か

「鯉」を選択した後も、「V1記念広島東洋カープ球団史」によると、カープ」なのか「カープス」なのか二転三転したそうだ。昭和24年9月28日、日本野球連盟に加盟を申請したときは「カープ」だったが、他球団がいずれも複数形をとっているということで、いつしか「カープス」に改められたそうだ。確かに、昭和24年11月26日に日本野球連盟が解散し、セ・パ両リーグに分かれたときの中国新聞は「カープス、中央リーグに申し込み」という記事を掲載しているという。

ところが、まもなく広島大学教授や学生などからcarp(鯉)は羊(sheep)などと同様、単複同形であり、複数形の「s」がつくのは文法上の誤りではないか、という新聞への投書があり、あっさり「カープ」に逆戻りしたという。「V1記念広島東洋カープ球団史」では、「谷川昇氏はハーバード大学出身で英語には練達の人であったが、度忘れされていたものと思われる」と書かれている。

同様に、「はだしのゲン」で知られる中沢啓二さんの漫画「カープ誕生物語」でも、架空の登場人物・青野弘少年がニヤニヤしながら「カープスの名前のことを手紙で知らせたら、会長の谷川さんはびっくりしたそうじゃ。なにせ谷川さんはハーバード大学を卒業して英語通の人なんじゃ。それがカープは単数も複数もあらわすことだと高校生に教えられて恥ずかしいと言ってたそうじゃ」と発言している。

中沢啓治著作集 1 広島カープ誕生物語

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ただ、これには一定のツッコミの余地もあって、単複同形の名詞であってもチーム名に「s」を付けるのは決して不自然でなく、現に、例えばMLBマイアミ・マーリンズは単複同形の名詞(Marlin=カジキ)に「s」を付けたチーム名となっている。強いていえば、英語と異なり日本語は原則母音が単音節なので、「p」「s」と二音続けて母音との組み合わせの発音に変換すると、英単語なのに英語発音との乖離が大きくなってしまう点が少しかっこ悪いかもしれない。そんな話は所詮慣れの問題に過ぎないのだろうが、「s」ナシで良かったのではないか。NPBMLBを通じ、唯一の「単数形」のチーム名となっているが、他競技まで見渡せば、昨年ファイナルまで進出したNBAマイアミ・ヒートは「単数形」である。

おわりに

話をインディアンスに戻すと2022年から新球団名に移行するとのことだ。インディアンスはMLBでも指折りの伝統球団であり、サイ・ヤングが選手生活の過半を過ごしたチームである。ポリティカル・コレクトネスを確保しつつ、地域の特性とマッチし、地元ファンに受け入れられ、できればどこか伝統の誇りを感じさせる球団名になることを期待したい。

最後に完全なる蛇足であるが、お笑いコンビの「インディアンス(ボケ:田渕章裕さん、ツッコミ:きむさん)」の名前は、田渕さんの笑顔がクリーブランド・インディアンスのマスコットキャラクター「ワフー酋長」に似ていることに由来するらしい。本家の方は、2018年をもってワフー酋長の使用を中止しているし、上述のとおり、やがて球団名も変更となる。さてはて、彼らもコンビ名を変更することになるのだろうか・・。

カープの投げやりな投手応援歌が実は奥深かった件(データでみる堂林選手覚醒の巻)

前回までの記事で、「スイング率」「コンタクト率」に着目し、打者のタイプ別分類や、タイプ毎の打撃成績面の特徴について述べた。それでは、カープの主要打者は、それぞれどのようなタイプに属するのだろうか。早速、2020年シーズンに100打席以上の各打者のデータをみてみよう(なお、次図の緑色のドットはこのシリーズ第1回目の記事に掲載したのと同じ散布図で、2018~20年のNPBでシーズン150打席以上の打者についての分布)。

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2020年カープ打者(打席数100以上)のスイング率(x軸)・コンタクト率(y軸)分布

これをみると、「鈴木誠也選手最強説」は前回記事で既に述べたとおりなのだが、田中選手もスイング率が低めで、昨年・一昨年中の不調期にあってもその割に出塁率を維持できていた理由もこの辺りに見え隠れしている。また、西川選手はコンタクト率が高めで、この辺に「天才西川」ぶりが見え隠れしている。

一方、このデータをみる限り、昨年ブレイクした大盛選手については、ややスイング率が高めである。「言うは易し」なのだが、更なる成績アップのためには長打力を更に伸ばすか、または三振率の低下を図ることが課題なのかもしれない。また、カープきってのスラッガー・タイプの松山選手は、コンタクト率が平均より高く、「ブンブン丸」よりかは出塁率を稼げるタイプであることが分かる。

データにみる堂林選手の覚醒

次に、カープにとって、2020年シーズンの数少ない収穫の一つであった、堂林選手の覚醒についてデータをみてみよう。鯉党のご各位には説明不要なことだが、堂林選手といえば鯉のプリンス、イケメンにして中京大中京高校時代はエースで四番で全国優勝、そして、かの野村謙二郎さんの背番号7の継承者である。入団3年目の2012年に一軍デビューし、チーム最多本塁打を記録し、オールスターにも出場した。ただ、その後ずっと順風満帆だったわけではなく、2019年までの数年間はレギュラーを奪われ、二軍暮らしの期間もあった。

堂林選手の2012年の成績指標をみる限り、元来、スイング率が高く、コンタクト率の低いスラッガーブンブン丸)タイプ(前回記事中でいうタイプ②)であったとみられる。事実、2012年の堂林選手は、チーム内で屈指の長距離打者であった半面、三振率が両リーグワーストであった。その後の伸び悩みは、三振の多さという弱点を十分に解消しきれない中、持ち前の長打力を発揮する場面が減ったことにあると思われる。

この間、打撃フォームの見直しを図ったり、外野手など幾つかのポジションに挑戦したり、アライさんについて護摩行に参加したり、そして2019年オフには後輩の鈴木誠也選手に「弟子入り」するなど、ひたむきで悲壮にもみえる努力を続けてきた。鯉党なら誰しもこうした姿勢に心を打たれ、毎年のように「今年こそ努力が報われ、好成績を残して欲しい」と願い続けてきたものだ。

そして2020年、ついにそのときがやってきた。「覚醒した」というべきなのか、「本来の姿を取り戻した」というべきなのか、何とも言えないが、ともかく好成績を残してくれた。

この覚醒ぶりをデータでみるべく、堂林選手の打撃成績指標の推移を整理すると次図のとおりとなる(打席数の少ない2014~19年シーズンは一本にまとめている)。これをみると、次のようなことが言える。

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堂林選手の打撃成績推移

(1)三振率が低下し、打率・出塁率がキャリアハイに

2020年シーズンにおいては、三振率が大幅に低下し、打率・出塁率が2012年シーズンを上回る水準にまで上昇した。時々「打率は水物であり、打球が凡打になるか安打になるかは運が左右する」といわれることもあるが、BABIP(打球が安打になった確率)の上昇幅は相応に限定的であり、打率アップは、三振率の大幅低下によるところが大きい

そして、三振率低下とそれによる打率アップの背景にあるのは、「スイング率が高く、コンタクト率の低い」クセの修正である。コンタクト率が大幅に上昇し、スイング率が大幅に低下した。これは、かねてより課題とされてきた変化球への対応が改善した結果なのだろう。これを裏付けるべく、球種ごとの100球当たり得点貢献度を集計すると、2020年シーズンにおいては、変化球のうち特に投球割合が高いとされるスライダーやカーブなどのブレイキングボール系について課題を克服したようにみえる。

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堂林選手の球種別成績(100球当たりの得点貢献度)

このようにスイング率が低下し、コンタクト率が上昇すると、前年対比でいえば、タイプ④(スイング率が低く、コンタクト率が高い)方向へと近づくことになるため、前回記事で整理したタイプ④の打者の特徴が表れる――つまり、三振率が低下し、打率・出塁率とも高まってくるわけだ。

それにしても、2020年のスイング率・コンタクト率の変化幅(2014~19年対比で、スイング率:▲3.16%、コンタクト率:+3.95%)の大きさは劇的である。特に、このシリーズ第1回記事で紹介したとおり、スイング率とコンタクト率との間には「いずれか片方が改善すれば、直ちにもう片方も改善する」といった相関性がないだけに、同時に両方とも大きく変化させることは至難の業である。実際、平成以降のMLB全打者を通じてみても、MLBでは、前年対比でスイング率・コンタクト率の変化幅について、堂林選手並み以上の覚醒をみせた選手数は、1球団・年平均たった0.198人しか存在しない。目覚ましい覚醒振りだったことがデータからも理解できる。

(2)長打力が2012年シーズン並み水準に復活

さらに長打力についても、2020年シーズンのIsoP指標は、チーム最多本塁打を記録した2012年並みの水準に復した。このように、出塁率長打率ともに伸長したため、2020年堂林選手のOPS(=出塁率長打率)は.787と2012年(.718)を大幅に上回る好成績となった。

打球の質についてみても、2020年は、2014~19年シーズンと比べ、レフト方向に無理矢理に引っ張るのではなく、センターからライト方向への打球の割合が増加した。また、打ち上げてしまったというようなフライ性の打球の割合が減少し、半面、ライナー性やゴロ性の打球の割合が増加している。フライ打球の比率が低下しているのに本塁打数が伸びたということは、打ち上げるときはしっかり捉えて飛距離を狙えている証拠だろう。

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堂林選手の打球方向の割合

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堂林選手の打球(ライナー、ゴロ、フライ)の割合

このように、堂林選手の2020年打撃成績は、打率などの面からみても、長打力の面からみても大幅に良化した。2012年シーズンの堂林選手は、スラッガー・タイプとしての発展を期待させる内容だったが、コンタクト率の上昇とスイング率の抑制の結果、2020年シーズン「New堂林選手」のスイング率・コンタクト率の分布位置はクセがとれた標準的な姿に近く、それでいて長打力指標は2012年を上回る

2021年シーズンもこの調子を続けて欲しいし、オフまでにFA権取得が見込まれるが、何としてもカープに残留してもらいたいものだ。

おわりに

今回の3回シリーズ記事では、カープの投げやりな投手応援歌をきっかけに「振らな始まらない」、そして「当てな始まらない」について分析した。そして最後には、堂林選手の覚醒をデータ面からみた。

その堂林選手に続くブレイク候補は、野間選手というイチ押しの声がある。外野は鈴木誠也選手と西川選手が指定席だとして、残り一枠を巡って長野選手や大盛選手が競い、さらに松山選手も外野再挑戦らしく、やがて手術明けの宇草選手も戻ってくるだろうから、そこに野間選手が割って入ってくると大混戦の様相をみせてくる。むろん、高橋大樹選手や永井選手も忘れてはならない。実績十分なベテラン、復活・覚醒を期する中堅、それに飛躍を目指す若手が入り混じったハイレベルな競争を通じ、チームの躍進に繋げてもらいたいものだ。

カープの投げやりな投手応援歌が実は奥深かった件(スイングに関する打者のタイプ別「特徴」の巻)

前回の記事で解説したとおり、打者がどの程度の割合でスイングするか(スイング率)、そして、スイングした球数のうちバットに当てた割合(コンタクト率)は各打者の「タイプ」を表す指標であり、これらの指標値は、それぞれある程度広めのゾーンの中で分布している。本日は、スイング率、コンタクト率それぞれの指標値が高い打者、低い打者によって、どのような打撃成績の違いがみられるのか、分析する。

前置き:スイング率、コンタクト率の高低の組み合わせによる4分類

実際には、前回の記事で示した散布図のとおり、スイング率、コンタクト率の分布は一定のゾーンの中に円形の星雲のように集中しているイメージであり、「指標値が高い/低い」を分ける分水嶺を見出すことは難しいのだが、今回の記事では、便宜上、シーズン毎の「平均値」を基準として、それより上回るか下回るかで指標値が「高い」「低い」と整理することにする。

そうした前提に立って、各打者のタイプを、①スイング率が高く、コンタクト率も高い、②スイング率が高いがコンタクト率が低い、③スイング率が低く、コンタクト率も低い、④スイング率が低いがコンタクト率が高い、という4つのカテゴリーに分類してみた。以下、この4分類に基づき、打者のタイプ毎の「打率」「出塁率」「長打力」について分析する。

打率:コンタクト率の高い選手の方が、高打率の傾向

MLBの平成以降の全打者について、①~④のタイプ別に打率の分布を整理すると次図のとおりとなる。スイング率の高低による影響は殆ど見受けられないが、コンタクト率の高い選手の方が打率が高めとなっている。

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①~④のタイプ別の打率の分布(1989~2020年MLB

その理由として考えられるのが、コンタクト率の高い選手は空振りが少ないため、その分、三振率が低いことである。実際、MLBの平成以降の全打者について、コンタクト率と三振率との相関係数は▲0.880とかなり明確な相関が認められる(相関係数が負値となるのは、コンタクト率が「高く」なるほど三振率が「低く」なるため)。三振率が低くなると、その分、打球がどこかに飛ぶ比率が高くなり、そのうち安打が生まれる確率も高まると考えられる。

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コンタクト率と三振率との相関関係(1989~2020年MLB

出塁率:スイング率の低い選手の方が、高出塁率の傾向

一方、「打率」ではなく(安打に加え)四球などを含む出塁率」についてみると、スイング率の低さの方が重要なキーとなってくる。コンタクト率の影響度は限られ、驚くことにどちらかというとコンタクト率の低い選手の方が出塁率高めという算出結果となった。

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①~④のタイプ別の出塁率の分布(1989~2020年MLB

その理由として考えられるのが、四球率の違いである。スイング率が低い選手は四球を多く選ぶ傾向があり、実際、MLBの平成以降の全打者について、スイング率と四球率との間には一定の相関が認められる(相関係数▲0.686)

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スイング率と四球率との相関関係(1989~2020年MLB

また、①~④の分類毎に四球率の分布を整理すると次図のとおりとなり、四球率の高さは「③>②>④>①」という傾向になっている。①~④の分類毎の四球率の差は、打率の差より大きいため、四球率の「③>②>④>①」の順位がそのまま出塁率の順位(③>②>④>①)に投影される結果となっている。

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①~④のタイプ別の四球率の分布(1989~2020年MLB

なお、コンタクト率が低い方が四球率がやや高くなっている理由については、コンタクト率が低い方が、ゴロであれフライであれ、少ない球数のうちに打席の結果を確定させる確率が低いからではないかとみている。打席中に投手に多くの球数を投げさせれば、自ずと四球を拾える確率も高まると考えられる。実際、打席あたりに要した投球数の分布をとると次図のとおりであり、やはり「③>②>④>①」の順となっている。

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①~④のタイプ別の「打者1人当たりに要する平均投球数」の分布(1989~2020年MLB

長打力:コンタクト率の低い選手の方が、スラッガーが多い傾向

①~④の分類毎の長打力を示す指標(IsoP(注))の分布は次図のとおりとなり、コンタクト率の低い選手の方が、長打力が高めという傾向が観察される。「コンタクト率が低いほど長打力が高まる」とする因果関係はないのだが、上記でみてきたとおり、コンタクト率が低い選手は、概して打率が低く、三振率が高いわけで、それでもなお出場機会を得て活躍している選手というのは、長打力に美点がある、ということなのだろう。

(注)IsoP(Isolated Power)とは、長打力を示すセイバーメトリクスの指標であり、「長打率-打率」によって求められる。「長打率=(本塁打数×4+三塁打数×3+二塁打数×2×単打数×1)÷打数」であり、「打率=安打数÷打数」なので、IsoPをより即物的に示せば「(本塁打数×3+三塁打数×2+二塁打数×1)÷打数」ということになる。

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①~④のタイプ別のIsoPの分布(1989~2020年MLB

本日のまとめ

以上のこんがらがってしまいそうな分析を改めて整理すると、次のとおりとなる。

①スイング率が高く、コンタクト率も高い打者は、打率が高く、三振率が低い傾向がある。ただし、四球率が低いため、打率の高さの割には出塁率が伸び悩む傾向もある。因みに、このタイプの極致というべき選手は、イチローである。

②スイング率が高いが、コンタクト率が低い打者は、分かり易くいえばブンブン丸であり、打率が低く三振率が高く、四球も少ないため出塁率も低い。ただ、その分、長打力が高い選手が多い傾向にある。DeNAのソト選手などが典型例である。

③スイング率が低く、コンタクト率も低い打者は、三振が多いが、四球率が高いため、打数を絞り込める分、タイプ②よりかはマシな打率となる可能性があり、また、打率の低さの割に高い出塁率を残せる傾向がある。さらに、長打力の高い選手も多く「スラッガーでありながら、タイプ②よりかは出塁率が高いこと」が売りになる。西武の山川選手やヤクルトの村上選手が典型例である。

④スイング率が低いがコンタクト率が高い打者は、三振が少なく打率が高く、加えて四球率も高いため、最も出塁率が高くなり易い日本ハム西川遥輝選手やソフトバンク中村晃選手などが当てはまる。なお、このタイプの選手であってかつ長打力が高いと、OPS(=出塁率長打率)が極大化するなど、セイバーメトリクス的には最強のバッターという評価になる。現在、これに最も該当するNPBの選手は、何をかくそう、我らが金看板・鈴木誠也選手である。

次回は、以上の説明を踏まえ、カープの打者のタイプ別分類についてみるとともに、前回記事で予告したとおり、練習や修行を通じ、①~④の分類に示した「個性」を変え、成績アップに繋げたケースが珍しいケースについて解説したい。

カープの投げやりな投手応援歌が実は奥深かった件(スイングに関する打者のタイプ別分類の巻)

前々から気になっていることなのだが、カープの投手が打席に立ったときの応援歌は、歌詞がなんとも投げやりに聞こえる。

振らな何も始まらないから 強気で一か八か フルスイング♪

そりゃそうなんだけどさ――と呟きたくなる。確かに投手の打率は平均1割程度なので、客観的にみれば「一か八か」というのは当たらずとも遠からずなのだが、応援団なんだからもっと期待を込めてくれないと。ファンがこういう目線だから、どこぞの球団がDH制導入を主張しだすのではないか。

ただ、最近、この歌詞の奥に潜むインプリケーションが、実は案外深いのではないかと思うようになってきた。「振らな始まらない」ことは明白な事実であり、ただ、当然のことながら、振った次の瞬間にはバットにボールを「当てな始まらない」わけで、どんな球でも振ればよいわけはない。そこで、本日から3回シリーズで、打者の「スイング」について考察したい。

本日はまず、スイングに関する打者のタイプ別の分類を試みたい。

前置きから――スイング率とコンタクト率とは

野球をずっとみていると、積極的に振ってくる打者がいる一方、慎重に球を見極めるタイプの打者もいることを実感する。これを統計化し、打者が全投球のうちどの程度の割合でスイングしたかを示すのが「スイング率」である。この手のデータは、どうしてもMLBの方が入手し易く、Baseball-referenceでは、MLBの各打者についてAS/Pit(Percentage of Pitches Swung At)という指標を公表している(注)

(注)As/Pitとは、敬遠を除く全投球数を分母とし、そのうちスイングした球数の割合と定義されている。本来、公表主体の意思を尊重して「AS/Pit」と呼称すべきなのだろうが、少々馴染みにくい名称なので、本記事ではこの指標のことを「スイング率」と呼ぶことにする。

また、「振らな始まらない」の次にくる「バットに当てな始まらない」についてもみておく必要がある。この点、Baseball-referenceでは、各打者がスイングした球数のうち、バットに当てた(安打、凡打ないしファウルとなった)球数の割合も公表しており、こちらはサイト上の名称どおり「コンタクト率」と呼ぶ。

スイング率とコンタクト率の分布

打者のスイング率とコンタクト率の分布はどのようになっているのだろうか。上記Baseball-referenceのデータを使って、平成以降(1989~2020年)のMLBの全打者(ただし、シーズン打席数がチーム試合数(2020年シーズンは60、それ以外シーズンは約160)以上の打者に限る。このシリーズにおいて以下同じ)、スイング率とコンタクト率の分布を整理すると、次の散布図のとおりとなる。

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スイング率とコンタクト率の分布(1989~2020年MLB

これをみると、まず、スイング率、コンタクト率ともある程度広めのゾーンの中で分布していることだ。具体的には、スイング率については3割5分~5割5分のゾーンに集中しており(平均値は0.462)、コンタクト率について6割5分~9割までのゾーンに集中している(平均値は0.794)。また、散布図はこれらのゾーンの中でまるで円形の星雲を描くような分布となっており、スイング率とコンタクト率との間には、例えば片方の数値が高ければもう片方の数値が低い、といった特段の相関関係は認められなさそうだ。

NPBについても、過去3年分(2018~20年)のシーズン100打席以上の打者について分布を拾うと次図のとおりとなっており、概ねMLBと似た傾向が窺われる。

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NPBにおけるスイング率とコンタクト率の分布(2018~20年)

また、この分布の仕方は、打者のパフォーマンスの高さにあまり左右されない。MLB「得点寄与度の高い打者」(注)に対象を絞って、上図と同様に集計すると、次の散布図が描かれる。「全打者」について描いた散布図と傾向は変わらない

(注)ここでいう「得点寄与度の高い打者」とは、打者の得点寄与度を示す総合指標wOBA(Weighted On-Base Average。厳密にはwOBAの計算式の各係数は年によって変動するのだが、ここではトム・タンゴ氏の提唱するStandard wOBAを使用)が平均以上の選手のことをいう。

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wOBAが平均以上の選手についてのスイング率とコンタクト率の分布(MLB1989~2020年)

このようにスイング率が高くても低くても、ないしコンタクト率が高くても低くても、それぞれ優れた打者は存在するわけだ。そのため、スイング率やコンタクト率はそれ自体、打者のパフォーマンスというより「タイプ」を示す指標と理解すべきである。

「個性」はそう簡単に変わらない

スイング率・コンタクト率に表れる「打者のタイプ」というのは、シーズンごとに練習やコンディション次第で大きく変わるものなのだろうか。それとも、なかなか変わらない個性というべきものなのだろうか。この疑問に対する回答は、身も蓋もないのだが「そう簡単には変わらない」

平成以降のMLBの各打者のスイング率、コンタクト率の当年成績・前年成績間の関係を整理すると、次図のとおりとなり、かなり高い相関が認められる(相関係数はスイング率について0.821、コンタクト率について0.887)。このことが意味するのは、スイング率やコンタクト率が去年良かった選手は、今年も良い可能性が高い半面、去年悪かった選手は、今年もやはり悪い可能性が高いということだ。換言すると、バッティングにおける積極性(スイング率)やボールを捉えられる技量(コンタクト率)は、運や偶然であろうはずがなく、各打者に根差すプレースタイルないし才能ということなのだろう。

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スイング率・年度間相関(1989~2020年MLB

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コンタクト率・年度間相関(1989~2020年MLB

また、スイング率、コンタクト率の当年成績・前年成績の差について分布をとると次図のとおりとなる。スイング率、コンタクト率とも前年と比べ±2.5%以内の変化幅の選手数が75%超に上っており、やはり「個性」は長らくその人に宿るもののようだ。

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スイング率・コンタクト率の前年比変化幅の分布(1989~2020年MLB

ただ、それでもなお厳しい練習や修行を通じて「個性」を変え、成績アップに繋げたケースが絶無というわけではない。この点に関する輝けるサクセスストーリーは、このシリーズの最終回(第3回記事)で述べたいと思う。

本日は、スイング率とコンタクト率の分布を整理するとともに、これらは各打者の「タイプ(個性)」であり年度間であまり変動しない性質のものであることを説明した。いずれのタイプであれ優れた打撃成績を残している選手はいるのだが、長打力や出塁率など、もう少しブレイクダウンしてみたとき、タイプ毎にどのようなパフォーマンスの違いがみられるのだろうか。この点については、次回の「スイングに関する打者のタイプ別『特徴』の巻」で説明する。

「麒麟がくる」に思う「移動」(中国大返し?)の負担

いつもの本題から逸れるが、NHK大河ドラマ麒麟がくる」がいよいよ佳境に差し掛かっている。このドラマは駆け出しから濃姫役の差し替えがあり、撮影・放送日程が新型コロナに邪魔をされ・・、と苦難続きだった印象もあるが、非常に面白い。特に織田信長の描き方が斬新だ。母親からの愛情不足が原因で自己承認欲求が異常に強く、それが充足されていないと思うことにより、孤独感や他者に対する猜疑心をどんどん高め、ついに「殺してしまえホトトギス」となってしまう――。こういう図式は、旧来からの「短気な革命児」という人物設定よりリアルに思える。

残りの放送回でいよいよ本能寺の変・山崎の合戦が描かれるはずだが、この辺りの経緯については、日本史上指折りの謎を含んでいる。明智光秀が何故クーデターを起こしたのか、という論点についてはドラマを楽しみにするとして、本記事では、兵員の移動というロジスティクスに着目し、豊臣秀吉が「中国大返し」という驚愕の「移動」をどうやって成功させたのかについて、無責任気ままな推論を述べ、最後に強引ながら本ブログの本題に引きつけて、カープのシーズン中の「移動」について少し触れることにしたい。

中国大返し」が謎めいている理由

歴史ファンが「中国大返し」を奇妙だと思うのには十分過ぎるくらいの理由がある。まずもって、本能寺の変の急報に接した羽柴(豊臣)秀吉がなぜ即日で手際よく、毛利方との和睦をまとめることができたのだろうか。また、ひょっと急報が誤りであった場合、敵方と勝手に和平合意して本国に引き返すなど、切腹ものの反逆行為(戦線離脱)なわけで、「速報ベースの情報」からにわかに絶対的確信を持てたのは何故だろうか。そもそも、事変の翌日に秀吉の耳に第一報が届くなんて、速過ぎやしないだろうか。さらに、二万ともいわれる大軍を、ものの一週間で200キロも移動させることは本当に可能なのだろうか。

特に最後の点については、播田安弘氏の「日本史サイエンス」でしっかり分析が行われていて興味深い。いわく1日30キロもの行軍は練度の高い自衛隊でも限度いっぱいという歩行距離であり、それを1週間以上続けることは非現実的である。自衛隊に比べても当時の武士の装具は劣悪だったろうし、特に当時は梅雨時であり、野営による負担が重たかったに違いない。加えて、必要な食糧や輸送馬が膨大となるため、手配を行き届かせることも容易でない。以上を踏まえると、事前の入念な準備なしに「中国大返し」は無理だったのではないか、とのことだ。

中国大返しには入念な事前準備があったはずだ」といわれると、さも秀吉が本能寺の変の黒幕だったのではないか、とか、それより控えめにいっても、秀吉は光秀のクーデターの意図を事前に把握していた(にもかかわらず主君に報告せず、光秀のなすがままにさせた)のではないか、というコンスピラシーを想起してしまうが、氏の分析はそこまでで寸止めし、黒幕説云々については歴史家の研究に委ねるとされている。

無責任気ままな推論

実は筆者は「中国大返し」の謎について、以前から次のような推論を思い描いており、所詮素人の妄想話に過ぎないのだが、ここに紹介させて頂く。

・秀吉は、毛利攻めへの援軍として、信長自身の出陣を要請していた。また、本能寺の変は、信長がこの要請に応え、安土城を出て中国方面に出陣する途上、京都逗留中に発生した。また、信長は光秀に対し秀吉の援軍として中国地方への出陣を命じていた。本能寺で信長を襲った明智勢は当初、中国地方に行くものとして出陣した(=ここまでは通説のとおり)。

・ただ、実のところ軍事的には、秀吉は信長自身の出陣を要しない程度にまで有利に戦局を進めており、あらかた勝利を固めた上で、信長がきたところで和議を成立させる段取りだったと推測する。実際、上杉謙信の死去(1579年)後、宇喜田直家(岡山)や南条元続(鳥取)が織田方に寝返り、山陰の拠点・鳥取城も苛烈な兵糧攻めに落ち、毛利方は本能寺の変(1582年)までに、とっくに劣勢に追いやられていたとみられる。

秀吉の真の狙いは、毛利攻めの兵力増強ではなく、戦功を信長の面前でアピールするとともに、行き帰り(特に帰り)の播磨路――大半が秀吉の領地・勢力圏――を信長への「接待旅」とする点にあったのではなかろうか。「接待旅なんてあり得るのか?」という点については、これと同じ年、徳川家康駿河拝領の御礼として「富士山見物の旅」を企画した実績があり、秀吉がそれに倣ったとしても不思議ではない。

なお、信長が光秀に出兵を命じていたのは、秀吉が「優勢ながら、もう一押しが必要な状況」などと割り引いた戦況報告を行い、信長に信じさせていたからであり、光秀も「割り引かれた」報告どおりの戦況と思い込まされていた。もし光秀が素直に援軍となっていたなら、壮大な無駄足を踏まされたことになり、それをさせる秀吉はかなり腹黒い、ということになる。

秀吉は、接待を疎漏なく行うため、備中高松城から播磨までの宿や食糧の手配、ひいては帰路では鎧を脱げるよう武具を運ぶ輸送船の確保などを進めていたと考える。「毛利攻めの戦時下に接待準備などする余裕があったのか」という点については、備中高松城を水浸しにした後1か月程度にわたり目立った戦闘を要しなかったため、不可能な話ではなかったと想像する。

・また、疎漏のない接待を行う上で、信長の動静は超重要情報であり、秀吉はそうした観点から予め入念な哨戒網を張っていたのではないか。きっと何人かの信頼に足る斥候・伝令をリレーさせ、迅速に情報が届く体制を構築していたのだろう。

・以上の想像どおりだとすると、本能寺の変の事実について、秀吉はこの哨戒網のおかげで確度の高い情報を速やかに、かつ正確に得ることができた。また、「中国大返し」ルートの宿や食糧確保についても、当初、接待目的で準備してきたものを流用することができた。一方、光秀の側では、中国地方の秀吉がなお予断を許さない戦況にあると認識していたため、よもや万全なロジスティクスが構築されていたなど思いもよらなかっただろう。

秀吉は、信長参陣を前に毛利方と既にあらかたの講和条件を握っていて、毛利方の交渉官(安国寺恵瓊)に対し「近日中に」信長の了承が得られ次第成立させると言い含めていたと想像する。毛利方からは信長陣営内での了承プロセスまでは見えないので、本能寺の変の事実を伏せて「ようやく信長の了承がとれた」と嘘をついても俄かに看破されることはなく、違和感なく和議成立と相成ったのではないか。そしてもとより和議成立後はお互いに撤兵する約束でもあったので、秀吉軍が畿内に引き返していくのも不自然ではなかった。

・ただし、そうだとしても二万もの総兵力をたった一週間で京都に参集させることは困難であり、秀吉自身、当面、旗印である自身さえ先頭に立てれば十分と考えていたのではないか。山崎の合戦の主力は、毛利攻めの際に播磨に残してきた守備兵と、あとは中川清秀高山右近らの畿内大名だった。

・・・以上、史料に基づく論拠はないのだが、そう考えると上記の「謎」をすべて整合的に説明できる。

確かに上記の「謎」説きのために生まれた「秀吉黒幕説」も面白いのだが、それだと別の不自然さが生じてしまう。第一、秀吉が光秀にクーデターを教唆したのだとすると、光秀はクーデター成功後、秀吉との連携作業であることを宣伝するだろうし、秀吉にもクーデター成功の連絡を寄越すのが自然と思えるところ、恐らくそうした記録は存在しない。それに「クーデターの教唆」は秀吉にとってリスクの大き過ぎる行動であり――未然に光秀が裏切って信長に密告するリスク、クーデター失敗後に秀吉自身が共犯を疑われるリスク等――、あまり合理的選択とは思えない。

なお、「日本史サイエンス」では畿内大名に頼って明智光秀と対峙する作戦は、秀吉にとって手紙を送れど味方になってもらえないおそれがあるため、事前に「何かあったときは宜しく」という申し合わせでもしていない限り、ハイリスク戦略だったと指摘している。これも「秀吉黒幕説」の暗喩なのかもしれないが、ただ、この点については、秀吉は案外自信を持っていたのではないかと想像する。理由は幾つかあり、第一に、畿内大名にとって「光秀がクーデターを企てた」ことまでは確信を持てても、本当に信長が死んだ確証がなかったため、光秀への加担にはリスクを伴ったこと。現に秀吉は中川清秀に「信長は生きている」と虚偽情報を流している。第二に、秀吉が毛利攻めに動員した兵力数は光秀の動員可能な兵力を上回っていたこと。そのうちどの程度の割合が播磨に戻ってきているかなんて外目には分からないはずで、カタログスペックとしての兵力数は、それ自体、ものをいったはずだ。第三に、なんだかんだといって「主殺しは不道徳」という観念は当時からあったこと。「敵討ち」という大義は訴求力が高かったに違いない。加えて、秀吉は、かねがね織田家中で光秀の追い落とし工作(権力闘争)を進めてきた中で、細川藤孝筒井順慶の光秀からの離反について感触を得られていたのかもしれない。これらを踏まえると、このときの秀吉は、少なくとも、関ヶ原の戦いに際して「加勢要請の手紙合戦」を石田三成と競ったときの家康よりかは、味方集めに有利な状況にあったのではないか。

それに、秀吉の地位はもっぱら信長の引き立てによるものだったので、光秀政権であっても柴田勝家政権であっても秀吉はつまはじきにされた可能性が高く、ゆえに秀吉は積極的にリスクをとれる、ないしとらざるを得ない状況に置かれていたとも考えられる。

交通手段の整備による「移動」負担の軽減

いずれにせよ、このように交通手段が未発達な時代においては、特に大人数での長距離移動には相当の日数と、日数分の食糧費・宿泊費を含む膨大なコストを伴うことを改めて実感する。豊臣秀吉は、戦場での作戦立案や指揮能力というより、土木工事やこの手のロジスティクスが得意技だったのではないかという印象がある。その後の賤ヶ岳の戦いもそうだが、どの程度の兵力をどの程度の時間数でどこまで動かせるか、という勘の鋭さは秀吉の真骨頂であり、こうしたスキルは、低い身分から戦争「実務」を蓄積してきたからこそ発揮し得たのだろうか。

そもそも織田家は家臣団の城下集住を進めるなど、国衆や地侍への支配力を強化しており、このことが軍団の動員力・機動性の高さに繋がった可能性がある。やや後日談風になるが、備中高松城攻め後の和議は暫定で、後日の正式な講和締結にあたって安国寺恵瓊は、主君・毛利輝元に機動力・動員力や財力の高さにおける彼我の差を訴え、受諾を迫ったと伝わる。毛利家は「三本の矢」というと聞こえが良いが、要するに国衆や外様へのグリップが弱かったとみられる。よく「毛利勢はなぜ中国大返しをした秀吉を追撃しなかったのか」という人もいるが、一つには、毛利家内での合意形成に手間暇を要し、機動的な追撃戦の企画が困難だった可能性が考えられる。中世秩序からの脱却度合いが軍事面でのロジスティクス能力の差として現れ、それが雌雄を分けたということか。

といいつつ、もう少し時代が下っても、人員の長距離「移動」は悩みの種であり続けたようだ。江戸時代の参勤交代も片道10~20日程度を要し、各藩の財政を圧迫したという。幕府に報告した江戸への到着予定日を遵守する必要性に加え、経費抑制の観点から、旅程の計画と管理は藩官僚の主要業務であったとされる。

そうやってみると、交通網の発達した現代はとても便利だ。今日の日本であれば、たとえ二万人規模であっても岡山~京都間の移動は造作ないことだ。敢えて真面目に計算すると、新幹線(16両車両)の乗客定員は1,300人強であるため、朝6時発の始発から15便ほど――のぞみ号の発車頻度はおよそ20分に一本程度なので11時頃まで――借り切れば、正午過ぎまでにはあっけなく全員が京都駅に到着できてしまう。

ただ、さすがにここまで便利になってきたのは比較的最近の話であり、たった一世代前まで遡れば、列島の東から西までの移動は一日仕事だったことを振り返ると、技術進歩の速さを再認識するばかりだ。

広島~東京間の所要時間の変化とカープのシーズン中の移動距離

ここから話を急転回し、本ブログの本題に寄せると、かつてのカープの関東遠征は、選手たちにとって現代以上の心身疲労を伴っていただろうし、球団にとっても「中国大返し」並みとはいわないにせよ、大きな事務負担であったに違いない。

JTBの歴代の時刻表を基に、鉄道による東京~広島間の所要時間の推移をみてみよう(因みに、JTBの歴代の時刻表は、同社の運営する「旅の図書館」で調査した)。

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鉄道による東京~広島間の所要時間推移

新幹線開業までは、戦後15年を経過した1960年でも、東京駅を朝9時発の特急つばめ号(東京~大阪間8時間)に乗っても、大阪駅での乗換を要したため、広島駅に到着するのは日付が変わった後となってしまう(その後、つばめ号は延伸され、新幹線開通前夜には20時10分には到着できるようになったが、それでも11時間超の長旅であった)。シーズン中の試合のない日のことを今でも「移動日」というが、この時代の「移動日」は本当に移動で日中をすべて使い果たしていたことが分かる。

新幹線の開業(1964年)により、開通区間の東京~新大阪は4時間で行き来できるようになったが、新大阪~広島間は在来線への乗り換えを要したため、乗り換えのための待ち時間まで含めると、東京~広島間の移動には8時間弱をみる必要があったようだ。

1972年に新幹線が岡山まで、75年に広島まで延伸され、東京~広島間の所要時間は5時間程度にまで短縮化された。因みに広島にとって1975年は、東京までの距離が縮まった年であると同時に、カープが初優勝した年でもある。

セ・リーグは球団が首都圏に3球団が集まっていることもあり、その中では西端に所在するカープの移動距離は長い球団創設年の1950年は、交通事情も悪かったであろう中、2リーグ制導入初年の地方営業(北海道や東北、北陸、北関東など)もあり、総移動距離約27,100キロ初優勝年の1975年は、日本復帰間もない那覇への遠征を含め約28,100キロカープは、球団創設以来現代にいたるまでずっとシーズンを通じて地球半周分以上の移動を宿命づけられてきたことが分かる。

このようにみていくと、中国新聞カープ70年史の特集記事の中で、外木場義郎さんが「(東京から)岡山までだった新幹線が、広島までつながったでしょ。ものすごく楽になった。あの年から野球道具を自分で運ばなくてもよくなった。あれがなければ、優勝はありえませんよ」と述懐されているのも、頷けてしまう。

おわりに

長距離の移動はいつの時代も心身の負担なのだろうが、中世の歴史的事件をみながら、当時から昭和の技術進歩・交通網整備に至るまで思いをはせてみた。豊臣秀吉ロジスティクス構築能力は天才的だが、カープをはじめとする各球団のスタッフも移動を含む球団運営に苦労されているだろうし、特にコロナ禍の昨今は苦労が倍加しているのではないかと思う。

どうにか無事のキャンプイン~開幕に漕ぎ着け、どうにか円滑にシーズンが回っていくことを祈り、筆を置きたい。